私の生きた「証」として
ここ数日、私の元へ「お母さんの働き方」や
「若年妊娠」についての
取材依頼が入るようになりました。
「若年妊娠」と「過食」
私が過食をして自分を苦しめていた時期は
娘を妊娠して、出産後しばらくの頃まで
続いていましたね。
その理由は紛れもなく「不安と孤独」が原因でした。
過食をする人は
食べることが好きすぎて止められない人ではなくて
食べることでしか幸せになれないと
勘違いしてしまう人が起こす行動かもしれませんね。
妊娠していた頃の私には
東京に友達もいなくて
親もいなくて
でも、お腹には新しい命が宿っていて
その不安と孤独から
「食べること」へ逃げておりました。
若くて若くて、まだ右も左も分からずに
社会人の一歩すら踏み出せていなかった私が
親になったんです、仕方がなかったのかもしれません。
毎日、不安と孤独から過食を繰り返し
何度も食べる自分を鏡で見て
恐ろしく震えました。
何度も鏡に物を投げつけて、自分だけなんでこうなるの?って
怒りを何かにぶつけて全て壊そうとしていました。
思い通りに動かなくなる身体。
若年妊娠による不安から
過食へと堕ちていくのです。
妊娠した事は
みんなに喜ばれるはずでした。
本当はね…
妊娠した事は、みんなに喜ばれるはずでした。
だけど、私の妊娠は
当時、周りにいる大人たち皆んなを
泣かせてしまいます。
当時はあまりにも若すぎました。
主人とは13歳も離れていました。
相手の親御様から見たら、私はまだ「子供」でしたから。
仕方なかったのかもしれません。
何より辛かったのは
主人のお母さんが、泣いていたこと。
喜んでくれると….、そう、思っていたんですよね。
こんな若さでの妊娠だったけれど
「望まれない妊娠なんてない」って
馬鹿みたいに、信じていたんですよ。
でも、現実は違って、みんな泣いていました。
電話で報告したお母さんも
声を震わせていました。
その時、私がしてしまったことが
どれだけ多くの人を困惑させ
心配させることかを初めて思い知ります。
13歳年の離れた主人との間に
望んでできた我が子でしたが
周りの大人たちは
そうは思っていませんでした。
お母さんになった今だから
義理の母の気持ちは、痛いほどに分かります。
私へ「申し訳ない」そんな気持ちと
息子へ「なんてことをしたの」そんな気持ちが
入り混じった 大粒の涙だったのでしょう。
我が子には幸せになってほしいものです。
どんな形でも。
きっと私たちの未来が不安だからこそ
大粒の涙が出たんだと・・・今なら、わかります。
その涙をしばらく忘れられず
私も主人も、自分を責めることしか
当時は出来ませんでしたね。
主人も当時は、よく夜にうなされていました。
お母さんに泣かれたことは
実の息子の心に罪悪感も残していったのでしょう。
そして、私自身も
とてつもない罪悪感に、目の前が霞むのです。
もう、何もかもが空回りです。
感情ひとつで、私もここまで堕ちるのです。
幸せのはずの二人の妊娠は
悲劇から始まりました。
喜ばれるはずの妊娠は、みんなに戸惑いを与えました。
私はその時、望んでいた妊娠とは言え
義理のお母さんへ
深く、暗い、罪悪感を持つことになります。
「こんな私がお母さんになって、ごめんなさい」と。
19歳で親になることに
社会の理解なんてカケラも無かった。
でも、私はそれでも生きていくしかありませんでした。
妊娠当時、毎日、つわりがひどく
それでも空腹になると、何かを詰め込まないと気が済まず
詰め込んだ後に、吐き気が襲い
それを何度も繰り返しました。
食べても食べても、誰も周りは祝福してくれないし
食べても食べても、私は幸せになんてなれなくて
でも、どうしても食べることしか「幸せ」が無くて
周りには支えてくれる親も友人も居なくて
当時の私はどんどん食べ物へ依存していくのです。
おかげで顔の皮膚は赤くなり
首の皮は剥けて
アレルギーにより指の関節は痒く
掻きむしった挙句
手の甲には黒く色素沈着が残りました。
決して綺麗な手ではありません。
体質を変えてしまうほど
心と食の乱れとは、本当に恐ろしいものです。
「食べ物では、心の隙間を埋められない」
そんな事も、分かってはいたはずなのにね。
「妊娠」って
幸せなことなんじゃないの?
妊娠って幸せなことなんじゃないの?
でも何で皆、祝福してくれないの?
現実と想像の狭間で
何度も苦しくなっては、食べて忘れようとしていました。
人はどうして
自分を苦しめ傷つけることはこんなにも得意なのに
自分を認め、許してあげることは
こんなにも不器用なんでしょう。
私は、今でも時々ね。
誰かと食べる食事を「怖い」と感じることがあります。
これはきっとね、自分のペースを乱したら
あの頃の私に、また戻ってしまう気がするからです。
本当に怖い、あの頃の私。
盲目にもほどがあります。
何もかも見失っていましたからね。
だけどそんな私が
その地獄のような日々が抜け出せたのは
あの子の成長があったからです。
それは間違いありません。
確かに、若年妊娠は
自分をどこまでも追い詰めましたし
周りの目もどこまでも冷たく、悲観的でした。
「若いだけ」で叱られること
電車の中で
見知らぬおばあさんに怒られる事も
何度もありましたよ。
今思えばひどい話ですよね。
身なりは若くても、心はちゃんとお母さんをしてるのに
どうして責められるのでしょう。
どうして若いだけで、ダメなお母さんだと
言われなければならないのでしょう。
手を握って目を見てちゃんと叱っているのに
その行動は、周りの親と大差ないのに
ただ若いだけで、周りの目は冷たいのです。
「子供が子供を育ててるみたいね」
そう、言われた事を今でも忘れられません。
それは、今までで、一番傷ついた言葉です。
心の中で
「わたしが子供を育てて何が悪いの?!」と
言い返しそうになって、咄嗟に口を塞ぎました。
言ってはいけない、この子の為にも。
でも、恐ろしいほどに「正しい」とも思ったのです。
よく、当時は泣いていましたよ。
ポロポロ、いつまでも情けないくらいにね…
出口の見えない劣等感でした。
年齢ばかりが、私の前向きな気持ちを
とことん邪魔するのです。
心は必死に
あの子の「お母さん」になろうとしていました。
でも、何もかも上手くいかないのです。
「若年妊娠」が
私に教えてくれたこと
「若年妊娠」は本当に仕方のないことです。
もし、私の娘が
私と同じように10代で母になったとしたら
ぎゅーっと娘を抱きしめて
「大丈夫だよ。おめでとう。一緒に頑張ろうね。」と
泣かずに笑顔で迎えてあげたいと思います。
それくらいしかできないけれど
でも、それが当時の私が「一番欲しい言葉」でした。
妊娠自体を、誰も責めてはいけませんし
自分で自分を責めてもいけません。
妊娠は「奇跡」なんです。
ただ、若いだけで責められる親の気持ち。
当時は誰にも分かってもらえませんでしたから。
でも、この子と出逢えたことは
若い私にも
小さな親心を芽生えさせ
責任と愛情は、私を確かに変えていきました。
周りの友人は確かに自由でしたが
私は時間とお金の使い方を
必死に考えるようになりました。
私は毎日母乳をあげ
職場では隠れて搾乳機で母乳を絞り
家に戻れば布オムツを30分毎に変え、離乳食を手作りし
ただ、ただ毎日同じことを繰り返し
お金と時間をこの子の為に使いました。
苦しくなんてない、と言ったら嘘になります。
でも、前向きにお母さんしていましたよ。
だって我が子のことですから。
きっと当時の私は
「いくつでお母さんになったって
みんないいお母さんになれるんだ」って
証明したかったんでしょうね。
悔しさをバネに立ち上がり
弱音なんて吐きませんでした。
私が変われば、周りは変わってくれるって。
義理の母もきっと認めてくれるはずって。
心から信じていたから、頑張れたんです。
私の子育てや人生は
誰にも認めれらるような
順風満帆なものでは無かったかもしれませんね….
今こんな話を書くと
ちょっと私のイメージも変わるかもしれません。
誰にだって、挫折や失敗はあるものです。
だけど、それは決して
恥ずかしいことではありません。
「若年妊娠」をしたことで
私は限りある「時間」を
とても大切に使うようになりました。
子供といる時間、一人の時間
家族との時間、働く時間。
すべての「時間」は有限で
いつでも自由に生きていけるわけではありません。
時には家族や子供や仕事のために
自分の夢を、時間を
犠牲にすることもあるでしょう。
でも、それは誰もが乗り越える壁であり
あなたも決して例外ではありません。
「したいことが、いつでもできるわけじゃない」からこそ
私は毎日を懸命に生きるようになりました。
今でも「まことさんはやることが早い」
なんて言われますが
「明日やろう」が
突然できなくなるかもしれませんよね?
私は娘のせいにして、夢を諦めたくないのです。
「あの子が生まれたから・・・」なんて
愚痴をこぼすような大人になりたくないのです。
娘が手から離れた時、やっと心が安堵して
ゆっくり生きれるようになるでしょう。
それまで、たった10年です。
娘から与えてもらった
「ORGANIC MOTHER LIFE」という生き方は
かけがえのないもの。
辛いなんてことはありません。
それぞれの環境の中で
泥だらけになって戦っている
お母さんは、私にとって「ヒーロー」です。
長い年月の間
家庭という小さく閉ざされた世界の中で
家族のために戦っています。
どうか、その努力と勇気を、忘れないであげてください。
19歳でも42歳でも
私たちは「お母さん」になることができます。
お母さんはみんな
みんなそれぞれの環境の中で
泥だらけになって戦っているんです。
ドレッサーに座ってゆっくりメイクする時間もなく
ご飯を作ってもゆっくり食べる時間もなく
スニーカーとジーンズを履き潰して
毎日必死に、初めての「お母さん」を続けているのです。
時には愛情の裏返しで、感情的になり
後で後悔する様な言葉や態度を
とってしまうことも、あるでしょう。
泣きわめく我が子をリビングに放って
キッチンの隅に逃げた事もあるでしょう。
だけど、それでも、私達はお母さんだから
時には我が子と向き合い、時には社会に立ち向かい
それぞれ戦い続けます。
周りがとやかく言う必要はないですし
むしろ、気持ちを労わってあげる様な
時には優しい「言葉」をかけてほしいのです。
それだけで、いいのです。
そして、子育ての仕方についても
間違いとか、正しいとか
そんなこと言葉で評価してはいけません。
勝手なイメージで
虐待らしきニュースを批判することもね。
家庭のことは、家庭の中でしか分からないからです。
周りには見えない我が子への愛情は
時には冷たくて、時には熱いもの。
それは、親と子の間にある
「絆」に良く似ています。
今この瞬間が
“この子と会える最後の時”という自覚があれば
どんな親でも
怒り顔や怒声で接するという選択肢は
きっと選ばないでしょう。
それでも無意識に私たちは
「今日という日が次の日も
その次の日も変わらずに訪れる」と思い込んでいるから
ついつい我が子にも
厳しく接してしまう。
親だって、人間です。
みんな親ならば、同じ気持ちで
子供の幸せを願っている事に変わりないのです。
「今」の私がいるのは
「過去」の私がいるから。
今の私がいるのは過去の私がいるから。
そして、この子がいたからです。
過去の私が居なかったら
今の私は、きっといないのです。
若年妊娠による不安
陥った過食と言う行動も
良くも悪くも、人生を変えてくれました。
今でも太ることも、食べることも
怖くないと言ったら嘘になるでしょう。
でも、今は食べることに
心から幸せを感じているのは事実です。
「人は変われる」と言うことを
この子から教わりました。
そして、今は若くして親になったことを
心から「自慢」に思います。
私にもできるじゃん!ってね。
確かに辛いことはあったけれど
確かに幸せなこともありました。
きっとこの子は「私を守るために」
生まれてきたくれたんだと思います。
一人きりだったら
迷ってばかりで
もっと苦労していたかもしれません。
子供がいるから
自宅で働くセラピストを目指し、独立しました。
それは紛れもなく
「この子が教えてくれた私らしい生き方」でしたから。
「まま、だいじょうぶ。いつもおうえんしてるよ。」
そう、言われている気がして、頑張れる。
この子がお母さんに私を選んでくれたこと。
心から感謝しています。
正直、二人目を授かることは今でも怖いのです。
同じように、誰もが泣いて
喜んでくれなかったらどうしようと。
でも、今は家族みんなが
私の幸せを願ってくれています。
もう、怖がっていたらいけませんね。
子供の愛は
いつだって「無償の愛」です。
子供の愛は、いつも無償の愛です。
その優しさに感謝して
今日も私はお母さんとして生きていくのです。
怒っても、泣かせても
子供はママが「大好き」です。
若くても、幼くても
私がお母さんになれたのは
この子だけがこんな私を認めてくれたから
「愛してくれた」からです。
今だから、心から思えます。
「お母さんになってよかった」
これは悲劇なんかじゃないよ、奇跡だったから。
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