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私だけの化粧品工場を作るために。

 

 

いつも思うことがある。

 

 

 

世の中がコロナの渦中
動けなくなったその日から
私の人生はめまぐるしい速度で変わっていったこと。

 

 

あの頃の出逢いは「奇跡ばかりだった」と —

 

 

 

2020年7月。

 

私は人生で初めて宮﨑県の土地に辿り着く。

 

ネット上で私の活動を知った
有機農業家の方が

私と会うために県外まで逢いにきたとき。

 

宮﨑県に出向いた私は

宮﨑県庁の会議室に連れて行かれ
沢山の農家の前に立たされていた。

 

 

現状を把握するよりも前に
沢山の厳しい意見や実直な気持ちを聞かされ

私が考えていた

「オーガニック化粧品の世界で
いつか社会貢献がしたい」なんて、、、

 

ただの世間知らずの女の子が言う言葉だ、と
痛感したのだ。

 

 

 

その日の夜の会食での風景

 

– その中でひとり。

宮﨑県の山奥

西都市の銀鏡(しろみ)という場所で
有機認証付きの柚子栽培を営む方々に出逢った。

 

 

「こう言う都心からの事業参入の話は良くある。
でも、続かないんだよ。結局は。」 —

 

 

 

 

都心からきた人間に向けた
期待と落胆を込めた言葉。

若い女性に向けた、願いと懸念。

 

そこで懸命に「生きるために」
有機栽培と取り組む人々と対峙した瞬間…

 

 

真っ先に感じたのは
悔しい、とか、よく分からない、よりも

ただただ
「私の事を信じてほしい」だった。

 

 

 

 

 

 

 私の覚悟を信じてほしい。

 

 

 

それから私は頼まれてもいないけれど
毎月のように宮﨑県に通い始めた。

 

 

最初の頃は各地の農家を巡ったり
出逢った農家さんの有機産地を観に行っては
続けていく中での苦労含め

化粧品業界との乖離が見てとれた。

 

 

「小さな子供を抱えた私が
   この機会を転機に変えるには… 」

 

 

帰りの飛行機では必ずと言っていいほど
宮﨑県で買った現地新聞や
農家情報が記載された冊子を必死に読み漁っては
産地や特徴を知ることに徹していた。

 

 

とにかく彼らのことを、知りたかった。

知ってほしい、と言う気持ちよりも”強く”

 

 

 

 

生きるために向き合う。

 

 

そんな右も左も分からないまま
懸命に通っていた、ある日のこと。

 

 

私は見ず知らずの同業界の方から
激しい嫌がらせを受けるようになっていた。

提携していた化粧品工場や農家を脅されて
私と仕事をするな、と
そう言われたらしい…

 

 

「馬鹿馬鹿しい。」と、
表ではそう思っても

従業員やお客様のことを思えば
化粧品を作れなくなったことは絶望的なこと。

 

 

悔しさを胸に抱え、その心のまま
宮崎県にある不動産屋さんに出向き
土地を探し始める。

何かしていないと
心が死んで折れてしまいそうだった。

 

何も考えたくなくて、ただ必死に
前だけを向いて
歩いていた時期だったと思う —

 

 

「私の覚悟が伝わらないから
信じてもらえないんだ。

  それなら私がこの土地に経済を作るしかない。」
と —

 

 

オーガニックが好きな気持ちだけじゃ
生きるために
有機と向き合う人達には、敵わない。

 

 

 

正直、オーガニックな美容業界は狭く深い故に
横の繋がりが強すぎて窮屈に思えることが
幾度となくあった。

お客様が喜ぶモノづくりをするから
もっとお互い切磋琢磨しなくてはいけないのに

当時の業界は
蹴落とし合いや悪口ばかりで

20代の私からしたら
それは滑稽でしかなかったよ。

 

 

「私は違う。
こんな事がしたくて

   娘を置いて此処に来たんじゃない。」

 

 

 

宮崎と言う土地で
同じステージにまずは立つために

20代で必死に貯めた事業資金2000万を使って
この土地1000坪と空き家を買った
2020年10月のこと。

 

 

この土地で事業を起こす事に決めた年。

 

 

周りには死ぬほど反対されたし
下手したら、笑われていたのかもしれない…

 

 

 

 

 

でも私のは揺るがなかった。

 

 

 

 

「絶対にこの場所、この土地に
誰にも邪魔されない
私だけの化粧品工場を作るんだ」と、

たった一人
孤独との戦いが始まった瞬間から。

 

 

私は〈宣戦布告〉をしたんだよ。

言い訳ばかりの”過去の自分”に
まずは、打ち勝つためにね —

 

 

 

痛くも痒くもない挑戦なんてない。

 

辛いことなんて、
幸せの数以上にあったよ。

 

 

 

でも、夢が少しつづ形になり
自分の考えた製品が完成して行くたびに

「私はこのために生まれてきたのかな」と
思えるほど

謎の高揚感に包まれて行く。

 

 

 

仕事が楽しくて、嬉しくて
仕方なかった。

 

 

 

最初の原動力は
「悔しさ」だったかもしれない。
でも今は「楽しさ」が私の毎日を支えてくれる。

 

 

苦しくない人生なんてない。
辛くない挑戦なんてない。

 

どこか少しだけ痛くて、沁みて
心が何処か理由もなく切なくなる事ばかりでも

それは成長痛みたいなもので、

私自身を母親として、人間として
豊かにしてくれる出来事や出逢いばかりだった。

 

 

– あっという間の2年間だった。

 

振り返れば
大変なことばかりだったけれど

この壁を乗り越えたからこそ

私は本物の化粧品を
作ることができるようになった。

 

最高に素晴らしい財産を、経験を、
全ての人に、ありがとうと伝えたいと思う。

 

– 坂田まこと

 

 

 

 

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