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私らしく生きようとしたら。

 

例えば
自分のために綺麗になりたい人が
いたとして。

 

多くの女性は
「今の自分よりも少しでも綺麗になりたい」
そう願っていて。

 

 

 

だからこそ

 

無理してダイエットしたり
化粧品をいくつも変えては試してみたり
小さな手鏡を持ってメイク直しに
貴重なランチタイムを費やしたりする。

 

男性には分からない価値観かもしれないけれど

毎月一万円もするネイルは
普段お洒落ができないOLさんや主婦の方が
仕事中や家事の合間に手元が見える時

その手元が「女性らしく綺麗」なだけで
ちょっと頑張れたりするんだ。

 

綺麗な爪を見て、綺麗な「私」を見て
気分が前向きになれたりするんだ。

 

 

どれだけメイクがボロボロの残業中でも
子供が寝付いた後の
夜中の家事の真っ最中でも

「爪だけでも」
美しくて綺麗なことで

「明日も頑張れるよ、私」って
自分の綺麗が
私の挫けそうな心を肯定してくれたりするんだ。

 

 

女性としては
いつもは自信がなかったとしても

少しでも自分を大切にしていること、が
どれほどに大切なことか
私たちは潜在的に知っているのです。

 

他人には見せない足のネイルだって
多くの場合が
自分のために塗っている人も
本当は多いと思うわけで。

 

その「私のために綺麗になる」気持ち。

 

それって
必ず多くの女性が
自然と幼い時から持ち合わせていると
私は、そう思っていて。

 

 

 

私の娘も、そうだった。

三歳だった娘が
七五三でドレスも和服も着たいと
わがままを言う。

特別な日だけでも、いいの。

 

少しでも可愛いものを着て
「私は女の子なんだ」って
幼い頃から潜在的に
自分の気持ちを〈育む〉ことを
女性はみんな覚えてる。

 

私ももちろん、そうだった。

どれだけ男勝りな幼少期でも
私は絶対にズボンを履かなかった。

お気に入りのスカートを
毎日毎日履いていた。

お母さんは今でも、呆れたように笑う。

「あなたが毎日着たいと言うから
毎晩夜中に洗ったわ」ってね。

 

それくらいに女の子は
幼い時から「私なりの綺麗」
みんなちゃんと守ってきたんだ。

 

自分のために綺麗になったら
生きにくくなった

 

産前産後、16キロ太った私は
自分のことが大嫌いだった。

 

 

 

太ったことで
胸やお腹にくまに引っ掻かれたような
深い妊娠線ができたこと。

胸の形も変わったし
お腹の皮膚だって弛んだこと。

太りやすくなって
極度な食事制限を繰り返さないと
中々体質が戻らなかったこと。

過食から悪化したアトピーにも
今でも苦しんでいること。

 

 

多くのコンプレックスを背負って
私は一番綺麗でありたかった20歳の青春を
これでも懸命に乗り越えてきたわけで。

 

それが偉いとか、凄いとか
そんなこと言っているんじゃない。

 

でもそんな自分に
自信勇気も無かったわけで

今では感じさせないかもしれない
「醜く脆い心」があったこと。

 

 

それは変わらない事実なのに
それは今語ると実は嫌がられたりする。

 

綺麗になったことに罪はないはずなのに

少し綺麗になるだけで

「あの人は綺麗だから」
前置きがつくようになった。

 

 

 

 

何をしても、何を言っても
もうそれは変えられない。

 

 

綺麗になってみると
「綺麗な人」という小さな差別が生まれた。

 

そのこと自体が
まるで悪いことみたいに掠れていく。 

 

 

妊娠から11年経って
自分のために
たくさんの努力を重ねてきたはず。

 

今思えば

セラピストの世界に入るきっかけをくれた
尊敬するセラピストは
決して「綺麗な人」では無かった。

 

 

それでも彼女に憧れたのは

そんな自分を受け入れながら
「綺麗になろうと頑張る姿が
美しかったから」

その綺麗になるための道具に
オーガニック化粧品があったから

私はこの世界に入ろうと思ったんだ。

 

 

 

 

私の人生を
変えるきっかけをくれた人は

〈綺麗な人〉ではなく
〈綺麗になろうとしている人〉だったこと。

 

 

こんな私でも、頑張ったら
彼女みたいに
綺麗になれるかもしれない。

 

こんな私でも、頑張れば
自分を受け入れて
あげられるかもしれない。

こんな私を見て
同じように勇気をもらえる人がいるなら
頑張ってみたい。

そう思って、表に立つようになったこと。

 

 

 

私が知っている〈綺麗な人〉
綺麗になる努力をしている過程が
美しいことにあると思う。

 

例え、鼻が低くても目が小さくても

笑った笑顔が素敵なら
そこに自信や勇気があったなら

女の子は、いくらでも可愛くなれる。

 

 

その可愛くなった自分に
「ちっぽけな勇気」をあげるだけ

好きな人に告白できたり
辛い仕事も頑張れたりする。

 

 

 

そんなふうに
「誰かにモテたい」とか
「誰かに認められたい」とか以上に

〈自分のために綺麗になりたい〉
そう思う気持ちが
私たちの中には確かに存在している。

 

 

 

 

ところがここ数年
私の中で
違和感を感じる出来事も増えたんだ。

 

 

綺麗になれば、なるほどに

経営者としてではなく
女として品定めされて仕事を渡されたり
仕事を奪われたりしたこと。

綺麗になれば、なるほどに

男性に媚びるためだと決めつけられたり
露出のある服を叱られたり
お洒落を否定されたりしたこと。

 

 

 

 

きっとその人になれば
その人の意見や世界が正しいと思う。

 

どんな物事にも「間違い」って無いから。

私の立場になれば、私が正しいし
あなたの立場になれば、あなたが正しいから。

 

 

もしそれで私が
裏で悪口を言われていたとして

綺麗になりたいと努力する気持ちが
全て異性のためだと
なぜそう決めつけられるのか

それは「小さな差別」だった。

 

どうして全てが
他人の物差しで図られていくのか
この社会に違和感さえ覚えたこと。

 

 

「私らしく生きようとしたら
  私らしさは否定されていく」

…そんな感じ。

 

 

 

 

 

自分のために綺麗になろうと頑張ったら
誰かに否定されるようになったこと。

 

すごく辛いと思ったし
そこで自分を曲げた方がいいのか
悩んだ時期が増えたこと。

 

〈ありのままの私〉を
受け入れてもらえなかった。

 

 

頑張った自分も
綺麗になった自分も
他人には受け入れられなかった。

 

 

経営者だから?女だから?

でも、どんな私だったら
その綺麗の過程は
受け入れてもらえたんだろう。

 

 

 

多くの人が
最初から綺麗だったわけじゃないよね。

 

生まれ持ったパーツの良し悪しはあっても
それを磨く努力は
誇れるものであって欲しいのに。

 

 

完成されたものだけ
その人の価値観を測られるほど
悲しいことなんてないのにね。

 

 

 

経営者として
少しでも成功していることが
いけなかったのかな。

仲良くなろうとして
人との距離感が近いことが
いけなかったのかな。

おしゃれな服を
子供が小さいときは着れなかったから
着ていただけなのに
それがダメだったのかな。

 

 

どんどん答えが分からなくなって

「綺麗になることはいけないこと」とすら
錯覚してしまうような出来事が
ここ数年で本当に多かったと思う。

 

 

綺麗になることで
自分に自信と勇気を与えられたのに

綺麗になることで
周りに誤解と決めつけを生んでしまう。

 

 

そんな風にしか生きられなかった
自分の生き方を無意識に責めたし

何のために綺麗になったのかすら
迷子になっていく。

 

 

男は男を武器にして仕事をするのに
女が女を武器にして仕事をすると
叩かれてしまう世の中です。

綺麗になればなるほど
この立場になると妬まれる世の中です。

 

 

私は〈わたし〉のものであって
私は〈あなた〉のものではなくて

愛されるために生まれてきたわけであって

それが否定されることほど
辛いことはないわけで。

 

 

 

経営者という立場だけなら
確かに叱られていい悪い癖は
きっと多いと思うの。

 

でも、その前に
私は女性であること
隠したりしたくないし

男性と肩を並べて仕事をすることだけが
凄いわけじゃないと信じたい。

 

例え〈女を武器にする〉と誤解されても
私はスカートを履きたいと思う。

 

自分の綺麗を曲げてまで
万人に愛される必要があるのかと
そう思う自分は本当に「馬鹿」だけど

ある意味、潔いとすら思う。

 

 

やっと素肌で笑えるようになった。

やっと素肌で過ごせるようになった。

やっと細身の服が着れるようになった。

やっとおしゃれが楽しめるようになった。

 

 

私は30歳になったとしてもまだ
〈女の子〉であることを楽しみたい。

歳を重ねてシミやシワが増えたって

それでも死ぬまで
〈女性〉であることを認めてあげたい。

 

 

他人の評価や価値観が
必ずしも自分にとって正しい訳じゃない。

 

 

あなたの立場になれば、あなたが正しい。

私の立場になれば、私が正しい。

 

 

…そんな言葉があるように

考え方や捉え方は
立場が違えばどちらも正しくなっていくもの。

 

 

それを否定するほど
世間を知っている訳じゃ無いけれど

それでも自分の中にある
「正しい」だけは、否定されたくない。

 

 

 

〈綺麗になりたい人〉の気持ちに
定義なんてない。

 

いろんな考えや想いがあって
私たちは毎日鏡を覗き込む。

どんな日もどんな時も
私たちは肌や心に問いかける。

 

「今日はどんな私になろうかな」

毎日少しだけ
違っていく自分を育むのは
女性が女性に生まれたスキル(技術と才能)だから。

 

そこにはなんの罪もないし
他人がその人の綺麗になりたい気持ちを
否定できるほど偉くもないと思う。

 

 

 

その人なりの美しさを
他人が否定すること自体
くだらないこと。

認めた上で導くことと
全てを否定することは全く違う。

 

私はどんな人でも
〈こういう人もいるよね〉って
認められるようになったほうが

お互いに傷つかないことを知っているし

 

常にそう言う角のないブロックのような
そんな気持ちで人を見れたら
それってすごいことだ思う。

 

そうする事で
〈私は、わたし〉を守ってこれた。

 

 

表に立つ仕事は
不本意ながら責められたり
決めつけられたりすることが増えるけど

それは自分で選んだ〈道〉だから。

 

できるだけ多くの人に
女性の〈綺麗になりたい気持ち〉
誰かのためだけでなく

自分のためにまずは抱くことを
知っておいてほしいと思う。

 

 

 

その上で成長の過程で
場面を選んだり、相手を選べるように
なっていけばいいんだと思う。

 

でもね、綺麗になった人を
責めたり決めつけていい理由なんて
何処にもないってこと

それだけは伝わったらいいなって思う。

 

自分のために〈綺麗になる努力〉をしたら
生きにくくなった人は
きっと少なくないと思う。

 

 

 

きっとそういう人も
表現の仕方次第で
うんと生きやすくなる。

そう思うようになった、今日この頃。

 

 

綺麗の価値観なんて、みんなそれぞれだ。

 

 

どんなに整ったモデルでも
努力をしていない人なんていない。

その綺麗を誰かに見せつけるためだけに
頑張った人なんていない。

 

少なからず
〈自分に自信と勇気が欲しくて〉
頑張った人の方がよっぽど多いってこと。

 

 

理解し合えたら
私たちはどれだけ個性的な美しさを
兼ね備えていても

傷つけあったり
罵りあったりしなくても
良くなっていく。

 

 

〈女性差別〉は少なくなっていく。

 

 

相手の個性や
どうしようもない気質や基質を否定せずに
〈こんな人もいるよね〉って
そう言い合える世の中でありますように。

 

 

「小さな差別」は
知らないところで起きている。

その小さな差別に気づけるようなったとき
本当の綺麗は芽生えるはずで
私はそんな人間になりたいと思う。

 

 

さて、明日は
どんな化粧品を使おうかな。

どんな私に、なろうかな。

その毎日に罪なんてないことを
私は証明したいだけなんだ。

 

 

 

 

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