– 無料のお肌相談室 –
私に直接エステの予約やお肌相談が可能です
上記カ
レンダーへの質問・予約もこちら友だち追加

          

 

4/27(土)10:00-15:00間
自然派美容学校
「コットンハウス®︎スクール」
コットンハウス無料座学体験会
現地またはzoom にて、ご参加できます。

座学体験会&無料相談会はこちら

 

 

 

 

 

恋をするということ

 

「恋の定義」と検索すると
恋とは、特定の相手の価値を高く感じて
精神や肉体的に
接触したいと願う心理を指します。

加えて、ドキドキする高揚感を含めて
恋と呼ぶこともあるでしょう。

 

・・・と一番最初に出て来ます。

 

 

 

私は正直「恋」ってなんなのか
この歳になるまで
よく分かっていませんでした。

 

「大人の恋」すら意味が分かなかった。

何も言わなくても、相手に伝わる?
会えなくても、お互いを信じ合える?

「それって何が楽しいの?」と、すら
思っていました。

 

 

大人の嘘は汚いし、怖いし
信用できないことも多かった。

私はバツイチだし、子供だっている。
勝ち組とか負け組とか分類するなら
きっと負け組なんだとおもう。

でも、負け組が=寂しいっていう定義もおかしいし
私は本音で向き合えない「大人な恋」なんて
知らなくていい思っていました。
 

 

 

子育てと恋愛については
何も語れることなんてないくらい
本当に経験も浅くって、未熟で
お客様に相談して教えてもらうくらいなんです。

だから、あまり参考にならない記事だけど
素直に書いておきたいので
綴ってます。

 

 

 

 

幼い時から
辛かったり困難なことをしている方が
「頑張っている気がする」
「生きている気がする」、と

苦しい環境に自分を追い込めば追い込むほどに
生きた感覚が増す。

 

本当に、おかしな子だったのかもしれない。

 

 

これをMというのであれば、そうかもしれないし
Sというのだれば、そうかもしれない。

 

でも困難な道を進んでいる自分が好きだったし
逆に楽な道や勇気の必要がない挑戦に
なんの魅力も感じないのです。

 

 

昔、自然療法士のカウンセリングを受けた時に
言われたことを思い出します。

 

「あなたは心の奥に
誰にも打ち破れないような空間があって
そこがすごく弱いから

その弱い部分を触れられたり、傷つけられそうになると
相手を突き飛ばしてしまう。

だからいつも気づかれないように明るく振舞って
私は大丈夫よ、って顔して
辛い道を好んで選んで、強くあろうとするよね」と。

 

 

 

今会ったばかりのあなたが
私のことを一体何を知っているというの、と
そう思った瞬間に

無意識に肩を震わせて
泣いてしまったことがある。

 

 

 

 

でも、この言葉は
そのままの意味ではなかったの。

 

「弱い自分をひた隠しにして
強く見せている」という意味に聞こえるようで

本当は
「弱い自分を受け入れられる自分になりたいから
少し無理してでも強くあろうとする」の方が
正しいと思ったんです。

 

私は、自分の弱いところを嫌っていないから。

弱いところも含めて、わたしだったから。

 

 

ドキドキと動悸が起こるような衝動も葛藤も
むしろ生きている感じがして
好きだったから。

 

だけどね、それらすべてが恋愛においても
重ねてしまっていたこともあって。

 

本当にね、こればっかりは
苦労する道を選んでも

「幸せ」なんて程遠いのに

ついつい惹かれる相手は
自分とは違うものを持っている人ばかり。
少しでも似た色があろうものなら
「否定される」、とでも思っていたのかな。

 

 

似ていない方が、一緒にいて楽だったの。

口数が少ない、無口な人が好きだった。

 

 

 

 

 

でもね、それって追いかけるような
恋するドキドキの高揚感を
「苦しい時を乗り越える高揚感」
重ねてしまっていて

毎日不安で眠れなかったり
布団で何度も携帯を覗き込んだりして
「辛い、寂しい」というキューっと
胸が締め付けられるようなドキドキを

「恋してる」って感覚と
勘違いしていたのかもしれないって

30歳手前に気づいてしまった。

 

 

 

 

先日ね、こんなことを昔の知人に言われたの。

「まことさんは
これまでになく愛されて
今、自惚れているだけなんじゃない?」って。

 

 

いつも、苦しい恋ばかり
好んで選んできた「わたし」。

だって、苦しい方が
「生きている」って感じがしたんだもの。

 

すぐに好かれて
すぐに愛されて
いつも何処かで想ってもらえて
それを言葉にしてもらえるなんて

そんな「奇跡」みたいなこと
一人で頑張ったって
起こせるものじゃない。

 

 

 

追いかけるドキドキが
本当は「恋じゃない」って気づいた時
もう、恋自体に疲れてしまったんだよね。

 

「あぁ、わたしには
人を好きになるなんてこと、無理なんだ」って。

 

 

 

でも、知人にそう言われた時にね
「愛されることに自惚れて何が悪いんだろう」と
思った自分もいて。

 

いいじゃない。
自惚れていても
それがその時だけでも「幸せ」ならね。

 

 

確かに恋は盲目になるし
時に判断を誤って
傷つけてしまうこともあるけれど
それもきっと、恋するってことなんだろうね。

 

 

 

 

 

 

「恋に定義なんて存在しない」
そう知った29歳の夏。

 

私には今、大切な人がいます。

 

 

 

ちゃんと向き合いたいので、焦っていません。

ちゃんと前に進みたいので
周りを困らせたくもありません。

 

でもいつもみたいに
苦しくもないし、辛くもありません。
頑張ってもいないし、無理もしていません。

 

こんな恋は初めてで
正直、恋かどうかすら
最初はわかりませんでした。

 

だけど、旅に例えたら
これまで行きたいところが
ぜんぜん違う人ばかりを好きになって
行きたくもない街に無理して着いて行っていた私が

初めて「ここへ行きたい」と、我儘が言える。

 

「嫌われたらどうしよう」と
怖がって本音が言えない
臆病な自分を部屋に置き去りにして

好きなところへ、好きなだけ行ける幸せ。

 

社長らしくいなきゃと繕って
強がる必要もないし
時には愚痴を言っても、否定一つされない。

夢を好きなだけ語っても
何一つ馬鹿にしないで
「そうだね」って笑ってもらえる。

 

 

 

もしこれが自惚れだというのであれば
「こうなった自分」に自惚れているんだと思う。

 

 

 

 

私でもこんなに素直になれるんだね、って

「わたしの中の恋の定義」
すこづつ変化していく。

 

その変化が嬉しくって
新しい服を買ったりできるのであれば
これが自惚れでも夢でも
正直なんでもいいとすら思えたんです。

 

 

人に愛されるってことは、奇跡だと思う。

 

 

 

例えこれが正しくても間違っていても

白黒はっきりしない「グレー」を
楽しめるわたしに
いっそ変わりたいから、もういいの。

細かいことは気にしていても仕方がないし
多分悩んでも答えなんてない。

 

 

会いたい。触れたい。側にいたい。
もっと知りたい。

 

あとは、もう風にように
自然に流れていくんでしょうし

急がなくても走らなくても
これが運命という言葉なのであれば
自然に一緒にいるんでしょう。

 

「恋する」という衝動に、振り回されてきた若い頃。

もう、私も自分を虐めることを辞めないと。

 

もっと楽をしていいし
もっと身を任せていいし
嘘もつかなくていいし
素直でいたらいい。

 

 

だからどうか、焦らないで。

 

信じて待っていてくれたら
必ず同じ場所に帰ってくる。

 

そんな私で、在りたいから。

 

 

 

 

 

私の半生が自叙伝になりました。
2022.6.20新刊「傷つくほどに美しくなれる」
Amazonはこちらから

 

– インスタはこちら –


友だち追加