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愛するということ
– 「恋の定義」の続きです –
「愛の定義」と検索すると
一番上には「自分自身を愛すること」という
そんな言葉が出てきます。
そうか、自分を愛していない人は
人を愛することを知らないままなのか。
そう思うと、どきっとして
心の中の隙間に落ちついたような
安定感を感じました。
そこには、こんな風に続けて書かれていました。
「まず、他人を愛するためには
自分自身を愛さなければ始まりません。
不思議なことに
他人に愛を与えることが出来る人は
皆、自分自身を愛しているという
共通点があります。
自分を愛することで自信がつき
心に余裕ができるため
他人に優しく振る舞えることが
できるからです。
「私なんて……」と
卑屈になっている場合ではありません。
まずは自分を好きになること
そうしてやっと他人を愛することができます。」と。
私はまだ子供だから
すごいなって思ってしまうよ。
確かに、自分の余裕があれば人を愛せるだろうね。
携帯を見る余裕もあるし
電話する余裕もある。
抱えるものが少なければ少ないほど
たくさんの愛をその人だけに注げるだろうし
それが当然のようになるだろう。
でもさ、中には
真っ直ぐに人を愛せない不器用な人もいるのです。
私もその一人で
どうしても自分の中の愛を
うまく伝えられなくて
一方的に押し付けてしまったりして
相手にとっての幸せを
ちゃんと優先してあげられなかったり、ね。
例えば、自分の幸せなんかより
家族や仲間の幸せを第一優先してしまって
しまいには、好きな人にも
「幸せになってください」なんて
言ってしまう人もいます。
人によって、愛の定義は違うはず。
だって、目に見えないんだもの。
私はどちらかというと
自分の幸せを
「半分こしたい」そういうタイプだから。
大人の恋なんて知らなくて良いし
子供の恋なんて続ける気もないけれど
「こうあるべき」みたいな繋がり方が嫌だから
それぞれの愛の形を、愛の定義を
大切にしたいと思うんだけど
それって、変なのかな?
私も幸せになるから。
私も幸せになるから。
あなたにも幸せになってほしいの。
たくさん我慢したりしないで
私の前でだけは
たくさん泣いてくれてもいい。
ダサくって情けないあなたを見てみたいのです。
時には私の胸に塞ぎ込んで
「何も聞かないで」って
肩を震わせて泣いてもいいのです。
私に苦しい思いをさせたくないなんて
なんでそんな美学を抱くのかな。
女は、一緒に泣きたいのに
幸せを与えてもらうよりも
一緒に作って半分こしたいだけなのに
どうしてあなたは
そんなに強くあろうとするのかしら。
愛にはいろんな形があると知ること
私も、最近彼に言ってみたの。
「愛してるってあんまり言わないで」って。
それは、生ぬるい綺麗事なんかじゃない。
愛は確かめ合わないとよく分からないから
言葉だけで言わずに側に来て、って
そう、言いたかっただけ。
まだ私のこと、そんなに知らないから。
まだ、私のこと嫌いになるかもしれないから。
過度な期待が怖くなる。
起こるはずのない未来が頭によぎる。
私は恋愛不感症みたいな奴だからさ。
大した奴じゃないからさ。
あなたに釣り合わないかもしれないでしょ。
「まことは自分に自信があるでしょ」って
そんなことないの。
自分のことを真っ直ぐ愛してる人なんて
ほんの一握りなんだから。
だけどね、欠けたところがあっても
嫌いなところがあっても
「こんな私も、お気に入り」くらいでも
私はいいと思ってるだけなんです。
私は昔からクラスで浮いてしまうような
…そんなタイプでした。
昔から「変わってる」て言われてきた。
最近も「君は特殊な人」と言われた。
そうね、そうかもしれない。
特殊な人だからこそ
人と違う世界観を生み出せたり
人と違う時間軸で生きれるんだけれど
そうだからこそ
大切な人を置いていってしまうことがあって。
大切な人にほど
飽きられてしまったり
誤解されることも多かったんです。
本当は、違ったのに。
そんな風に、思ってたわけじゃないのに。
「君は仕事が本当に好きなんだね。
娘の気持ちも考えてみなよ。」
私の生き方も、子育ての仕方も、考え方も
知らぬ間にずれが起きていて
それにすら気がつかなくって
大切な人の心を
欠けさせてしまったこともあります。
そこにあった、確かな愛の形は
すっかり歪になってしまっていたから。
そんなとき、思ったよ。
「人に恋することと
人を愛することは、同じじゃないんだ」
私は、仕事も、娘も、彼のことも大好きだった。
でもそれじゃダメなんだって
彼の言葉で気がついてしまって
絶望してしまったのです。
同じように愛していたのに
同じような愛では伝わらない。
そこに大小はなかったのに
「伝え方」が悪かったのかもしれない。
仕事に注ぐ愛と、娘に注ぐ愛と
大切な人に注ぐ愛は、少しづつ違うのに
それがうまく表現できなくて。
「注ぎ方」を間違えると
エスプレッソカップに注いだカプチーノみたいに
溢れてしまう。
きっとね。
優先順位の付け方だったんだけど
私は子供の頃からすべてに全力だったから
今更何が一番とか出来なかったんです。
だからこそ、クラスでいつも私は変わり者だった。
変わり者の私を「お気に入り登録」したら
すごく楽になっただけで
周りにどう思われているかは
やっぱり今でも怖いのです。
「君が僕の全て」なんて言わないで
「愛にはいろんな形がある」というならば
私は幸せを半分こして
大切な人にも笑顔になってほしいと思う。
大切な人にこそ
「幸せだ」て呟きながら、笑っていてほしい。
私はその笑顔に、ほっとする。
私みたいに夢を諦めずに走り続けて
時には家族を疎かにすることは
あるかもしれないけど
「君が僕の全て」なんて言わずに
夢の真ん中でキラキラ輝いていてほしい。
疲れた時だけ、帰ってきてくれたらいいんだ。
雨に打たれて、足先を泥んこにして
雨なのか涙なのか分からないくらい
ボロボロになった時
私の胸に塞ぎ込んでくれたら、それでいい。
拾われた捨て猫みたいになって
頼ってくれたら
もうそれだけで、私は充分です。
まずは、与えることから
もし本当の愛の定義に
「見返りを求めてはいけない」という
理論が存在するならば
それは、無理して愛と呼ばなくても
いいんじゃないかなって思う。
私は、愛されたら愛してあげたいし
愛したら愛してほしいって思う。
たまに娘ちゃんが
「まま、仕事ばっかりしてないで
愛をちょうだい!」って
空っぽの私に、勢いよく飛び込んでくるの。
ぎゅーっと抱きしめて体温を確かめ合うと
お互いそこに言葉がなくても
愛してる、が、鼓動から伝わる感じ。
私が細々と叱らなくても
愛を確かめ合った後は
不思議とお利口さんになる彼女を見ると
愛って、やっぱり「確かめ合うこと」が
一番大切なんじゃないかなって、そう思う。
「愛に、見返りを求めてはいけない?」
でも、与えっぱなしの愛なんて
掛け捨てのガン保険みたいで、虚しいだけじゃない。
私は、ギブファーストな人間だから
まずは愛してあげたいのです。
その先、あなたらしい形で返してくれる日を
ハチ公みたいに待っているくらいで
ちょうど良いのです。
お互いに無理して
たくさんの愛を与えて続けるよりも
まずは「半分こ」から始めてみようか。
時に、笑い合って。
時に、泣き合って。
時には、抱きしめ合って、確かめてみよう。
「どんなときも相手の幸せを願うこと」
私は大切な人には
世界で一番幸せになってほしい。
私を幸せにしているのに
自分だけが、寂しい想いをしないでほしい。
私には、愛の定義は必要ないのです。
目に見えない愛だからこそ
ちゃんと確かめ合うこと。
それでいてお互いが幸せになれるなら
同じ時間を共有できていなくても
同じ屋根の下にいなくても
きっと、大丈夫。
きっと、私達なら、幸せになれる。
私の半生が自叙伝になりました。
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