死にたいと思ってもいいから
生きなさい。

 

「死にたいと思ってもいいから 生きなさい。」

 

 

滞仏日記を綴る「辻 仁成」さんの記事に
印象的な言葉があったので
お借りしています。

18日に笑顔が自然体で印象的だった
三浦春馬さんが亡くなって
私は人知れず落ち込んでいた。

 

 

特別ファンだったわけではないが
「14歳の母」の相手役を務めていた彼を見たとき

「なんて素敵な笑顔で笑う青年なんだろう」と
感じていた。

 

そこに生きていたはずの人が
突然この世から消えて亡くなったとき
多くの人が現実を受け止めきれず
「なんで?」と理由を探したりする。

 

誹謗中傷だったなのか、仕事で挫折したのか・・・

 

でも、本当の原因なんて
彼の中でしか答えは見つからない。

きっと残された遺書にだって全ては見透かせない。

 

 

だからこそ、残された家族の気持ちも汲めず
メディアが詮索するのは
あまりいい気がしない。

少しでもいいからそっとしておいてあげてほしい
そう感じて
ニュースのチャンネルを変えてしまう
そんな弱った自分がいる。

 

 

もし娘が同じような環境に陥ったら・・・と考えたら

ニュースを見ながら背筋が凍るような
そんな嫌悪感に襲われて

後ろで寝そべる娘の手をぎゅっと握りしめたんだ。

 

 

 

 

とにかく私は、生きなくては。

 

私も人知れず「死にたい」と思ったことはある。

 

 

それは誰にでもある人として当たり前の弱さで
「逃げれるものなら逃げたい」
そう思うのは、決して異常ではない。

 

 

 

 

例えば、うちの娘ちゃんは
小学校を3回転校している。

 

 

最後の学校は特に合わなくて
何度も「いじめられた」と真実の見えない弱音をこぼし
悔しそうな顔で家に帰ってきていた。

 

「3度目の正直はどうか頑張ってほしい」
親の選択肢を押しつけてしまっていたので

「きっと大丈夫」と嘘をついて
少し汚れてくすんでしまった
ピンク色のランドセルをぐっと押しては

学校に毎朝行かせていた日々。

 

 

でも、ある日ランドセルが玄関に投げ捨てられていた。

外ポッケの奥に手を突っ込んでみると
ぐちゃぐちゃになった作文用紙が
出できたことがある。

その中には嘘か本当か信じられないような
娘の「助けて」という思いが綴られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

子供の頃は大人のように
逃げたくても逃げられない環境が
より深く根強くなっている。

 

 

「3度目の転校なんて」って親は怒るもしれない。
親の私は周りの大人たちに叱られるかもしれない。

 

だけれど
私は「逃げれるものなら逃げてもいいよ」
娘に選択肢を預けたこと。

今でも全く後悔していないよ。

 

 

おかげで今の学校は、夜も眠れないほど大好きで
毎日賑やかで笑顔に溢れてる。

きっとこれで良かったんだ、と
今では私も幸せな気持ちになれるんだ。

 

 

 

大人だって逃げたい時はある。

 

 

大人になっても
「逃げたい」「死にたい」と思うことはあるよ。

 

私だって、全てを否定されると
そうなってもいいんじゃないかって
意識の片隅で抱くことがある。

 

 

寂しいとか悲しいを通り越して
見えない不安に駆られてしまって
自分の衝動を肯定的に捉えてしまう。

 

 

間違いも正解も
誰も押し付けることなんてできないのに

人は正義を全て正しいと勘違いしてしまう。

 

どんな出来事にも
「正しい」や「間違い」は他人軸では決められない。

いつだってそこに居合わせた
本人の気持ちの中で

「本人がどう思っていたのか」で
決められるべきなのに。

 

 

 

あいみょんの歌に
「生きていたんだよな」という衝撃的な歌がある。

歌詞の中には
「今なる命を精一杯生きなさい」なんて綺麗事だな
精一杯勇気を振り絞って彼女は空を飛んだ
という歌詞があって

これも考えさせられる歌詞だと思った。

 

 

「生きて」という言葉がプレッシャーになる人がいる。
「逃げてもいいよ」という言葉に救われる人がいる。

 

どっちも正しいけど、間違っているかも知れない。

 

 

 

では、死にたい人を見たときに
どう手を差し伸べれば良かったのか
答えはきっとずっと見つからないよね。

 

私に何ができるかわからないけれど
一つだけ分かったことは

「自分が自分の気持ちも
かけてほしい言葉もちゃんと分かっている」
ということ。

 

どんなに嘆いてもどんなに悔やんでも
他人の気持ちを救ってあげることはできない。

だけど「わたし」という命だけは
守ってあげることができると思う。

 

 

背負った荷物を降ろして
他人の批判や決めつけを無視して
違う景色を見てみて
違う家族と過ごす時間だって

人生の中の数年を無駄にしたことにはならないよ。

 

 

1年でも5年でも
「生きてみてもいいかも」って思える

そんな出逢いが見つかったとき
その5年間は無駄なんかじゃないと思う。

 

 

たった「1%の不幸」のせいで

 

 

私も、逃げられるものなら
逃げてみたいといつも思う。

 

 

でも私が逃げ出さないのは
辛いことなど
幸せなことに比べてたら、ほんの一握りだからだ。

 

 

たった「1%の不幸」のせいで
今の溢れる「見えない99%の幸せ」
全て見失ってしまうのが怖い。

 

両端を囲われたオセロのように
1%の不幸を100%のようにされては困るのだ。

 

 

もし、死にたいと思う人が近くにいるならば
死にたいと思ってもいいから
ちょっとでも長く生きてほしい
、と伝えたい。

 

いつもと違う場所でいつもと違う人たちと一緒に
綺麗な景色を見れる「時間」を
選択してほしいと思う。

 

死んだように生きていても構わないから

あなたの親が残してくれた
そのかけがえのない「体」という器

どうかまだ、捨てないでほしい。

 

 

 

どんな失くし物よりも、代わりがないんだ。

ボールペンや帽子や傘なら
いくらだって無くしてもいいよ。

でも「体」と「命」だけは
失くしたら、もう代わりが見つからないんだよ。

 

 

 

 

 

死んだように生きていても
いつか愛する大切な人と出会ったりすれば

また「生きてもいい理由」
見つかるかも知れないでしょう。

 

 

人生は、捨てたもんじゃないよねって
苦手なお酒を飲みながら
大切な人たちと笑い合える時間が愛おしくなるような

そんな場所に、逃げてくれたらいいなって思う。

 

 

 

 

彼が教えてくれたこと。

 

それは娘にも、私にも
与えてあげたい逃げ場所になる。

 

このニュースを見た後
学校から帰ってきた娘に「今日はどんな1日だった?」
意味もなく声をかけたくなった。

 

小さなことでもいい、些細なことでもいい。

 

悲しそうな顔の答えが
見つからなくてもいいから
「声をかけて、気にしてあげる」だけで

君に逃げ場所ができるなら
そんな救われることは他にはないんだろうね。

 

 

私は立派な大人じゃないし
立派な親でもないけれど

君と私の「唯一の味方で居てあげる」
そんなかけがえのない存在であることは確かだ。

 

 

そんな私は自分のキャパシティが
これでも分かっている方だと思うの。

 

昔は「コップの中の嵐」のような性格だった。

 

 

コップの中という限られた空間の中で
人知れず傷ついて騒ついて
だけどそれらを誰かに見られるのが恥ずかしくって
コップの口に蓋をして
治るまで自分でひたすら我慢をするんだ。

 

きっと天国に旅立った彼も
そんな毎日を憂鬱に
過ごしていたんじゃないかな、と感じてしまう。

 

私には今では頼れる人も増えて
弱音を吐ける場所を作れたことで
そんな風に塞ぎ込むことはなくなったけれど

同い年の彼のこと思うと
どうしようもなくやりきれない喪失感が
ふつふつと、こみ上げてくる。

 

 

目を合わせたこともない。
すれ違ったこともない彼の死は
きっと多くの人々の心に深い傷を残しただろう。

でも、その傷は
「意味のないただの傷」ではなかったはず。

 

 

「生きるってなんだ」
懸命に誰もが考えさせられたはず。

「死ぬってなんだ」
根底から誰もが考えさせられたはず。

 

 

自分の言葉や態度が
ときに無防備な人の背中を
刺してしまうことがある。

加害者にも被害者にもなってはいけないのに
その境目が曖昧で、私も時々怖くなる。

 

一番利口な生き方は、きっと見つからない。

 

 

でも純粋に思うのは

わたしは、わたし。
あなたは、あなた。

 

何を想われても何を言われても
死ぬこと以外は「かすり傷」で
明日になったら、新しい挑戦と試練が待っていて
今日の不幸がずっと続くわけじゃない、ってこと。

 

 

 

 

 

 

苦しい仕事は、やめたっていい。

苦しい友情は、やめたっていい。

苦しい恋愛は、やめたっていい、

死にたいと思ってもいいから、生きなさい。

 

過去の私にも、そう教えてあげたいな。

弱くて脆くてない虫だった私の味方は
今の「わたし」だけだからね。

 

これは誰にも守れない。
自分を大切にできるのは、自分だけ。

 

義務教育では学べない「自分を大切にする方法」

 

 

私たちは、どう生きるか。

 

今年彼と同じ30歳を迎える世代は
彼にそっと手を合わせて
「ごめんね。そして、ありがとう。」と
伝えてあげてほしいよ。

 

届くこともない意味もない言葉かも知れないけれど
少しでも彼の死が
意味のあるものに変わってほしいと

一人でクローゼットで眠った隙間に
微かな光が差し込んでほしいと願う。

 

 

 

追悼 三浦春馬さんへ

素敵な時間と笑顔を
30年間ありがとうございました。