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大切な人が
「死んでもいい」と言ったとして。

 

大切な人が
「死んでもいい」と言ったとして。

 

 

究極過ぎて受け入れられない
不思議な感覚で
自分の事じゃないのに
自分の事のように重くのしかかるのです。

 

 

痛くないのに、痛いのです。

 

 

命とは、一体なんでしょうか。

 

 

死んでも魂は無くならないと
昔お婆ちゃんが言っていました。

果てて器を無くしても
宙をふわふわと彷徨って
護りたい人の側を離れないそうです。

 

成仏って言葉も人間が決めたもので
命は果てたとしても
魂は大切な人の中で生き続けるから。

 

 

例え、死ぬ間際に家族や大切な人に
面倒が掛かったとしても
周りが少し不自由になったとしても

それはその時家族や大切な人が
「あなたを護りたい」
そう思ったから納得して出来るわけで

そこに愛がなければ
責任だけでは背負えない。

 

それは亡くなるあなたの責任じゃないわけで。

 

 

 

去年、大好きだったお婆ちゃんが
亡くなりました。

死ぬ間際に、会うことが出来ませんでした。

 

近くでずっと
介護し続けたお母さんを見ていて
凄く大変そうだったし
旅行にも何処にも
連れて行ってあげられない。

日々疲れ切って可哀想で
でも離れた所に住む私は
何もしてあげられなくて。

 

凄く無力だったし、想像を絶する程辛かった。

 

だってね
亡くなろうとしていく
大切な人を最後まで看取る気持ちなんて
想像が尽きません。

 

どれほどに辛いのか
私はまだ体験したことがありません。

 

でもお母さんの気持ちを
私なりに汲んだ時
亡くなって行く人は例え抗わなくても

大切な人を亡くす人は毎日
必死に抗っていたんだと思います。

 

 

 

「この世に残される方も、同じくらい痛い。」

 

その傷は
家族や彼やペットを失った時も
同じように痛み続けるのです。

 

 

例え綺麗な瘡蓋になって
剥がれ落ちたとしても
一生消えない色素沈着みたいに
本人にしか分からない
消えない傷が残るのです。

 

その傷を抱えて
残りの人生を
生き抜かなくてはいけないのです。

 

例えば、最後の一瞬まで
〈共に生きたい〉
今にもちぎれてしまいそうな手綱を
懸命に2人で握りしめて
必死に手を取り合えたなら。

 

私はそれを
〈生きた〉と言うのではないか、と
そう思います。

 

 

生きて、生きて、無我夢中に生きて。
生きて、生きて、一生懸命に生きて。

 

 

誰の為でもなく
親の為でもなく
私の為でもなく

細かい事なんて死ぬ間際に気にしないで

目の前にいる一緒に〈生きたい人〉
懸命に最後の一瞬まで生きる責任が
愛したあなたにもあるのです。

 

 

お母さんは後悔なく
お婆ちゃんを見送られていたらいいなと日々思う。

 

親孝行は親の為にするもんじゃなくて
いつかこの世に残される子供が
自分のためにするもんだ。

そして
「後悔だけはこの世に残してはいけません」
私は教わりました。

 

 

大切な人なら
例えどんな姿に朽ち果てたとしても
一秒でも長く
〈生きようとする姿〉を見ていたいと思うのは
わがままなんでしょうか。

 

 

 

生きるって、なんでしょうか。

 

命の灯火を消すのは
本当は自分なのかもしれません。

これ以上迷惑をかけたくないと
命の灯火を自ら消してしまう人も
世の中には居るのかもしれません。

 

色んな愛の形があるように
いつか残される人への「愛し方」
様々あるのかもしれません。

 

 

「生きることに、貪欲になりなさい。」

心で呼吸して、大地を踏みしめて
高く羽ばたいて。

 

誰も傷付かずに死ぬ方法なんて
何処にもありません。

 

坂田まこと

 

 

#川崎鷹也
#大切な人

 

 

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