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思い描いていた「20代の人生」は
一体どんなだっけ。

 

30歳を3ヶ月と少し
目の前にしてふと思うことがあります。

私が思い描いていた
「20代の人生」一体どんなだっけ?

 

母親の限界に「挑戦」し続けた日々

 

当時は、周りに理解なんて
ちっともされていなかった思う。

 

私はいつだってジェットコースターみたいに
自分の好きなように自分の線路を
毎日同じように崩れぬルーティンを描いて
乗客を乗せて走り続けていました。

 

時に一回転してみたり
時に停止してみたりして

ブログ上の私は実に「奇想天外」だったし
多くの人が文面から私のことを想像し
面白がって読んでくれていたと思う。

 

面白い=馬鹿にされてるわけじゃないよ。

心から「面白い」から
ついつい覗きたくなるような
私はエンターテイナーみたいなものだったな、と
ふと思うことがあります。

 

 

 

 

「変わった子」からの卒業式

 

子供頃から、少しだけ「変わった子」でした。

 

友達もろくに作らずに
親友と呼ばれる部活仲間だけ。

いつも部活と勉強に没頭して
ルーズソックスを履きこなすスカートの短い女子とは
ちっとも仲良くなれなかった。

 

20歳には母親だった私は
友達を作る余裕もなく

毎日が月収18万と保育園費10万
家賃7万に追われて
夫婦揃って毎日が生きることに必死。

 

あの頃は生きた心地がしなかったし
いつも小さな不満を心に抱えていて
本当に面白くないやつでした。

 

 

でも、初の社会人でデビューをして
はじめての大挫折を経験して

それはそれは、立ち直れないくらいショックで

私の優等生気質は脆くも崩れ去って
自信も勇気も瞬く間に消えちゃった。

 

 

 

 

あの頃何が悔しかったって
周りで評価してくれない人たちに
何かを思っていたというよりも

わたしはなんでもできる!
そう、思い込んで
社会の一員になってみたら
「何にもできなかった」ということ。

 

 

 

 

エレベーターの乗り方一つ
上座の場所一つ、分かってなかった。

仕事はできたし、早かったよ。

でも、それだけじゃ
この数億人が生きる社会の中で
うまく生きていくことができなかったの。

 

 

 

悔しかったな。

 

親になって、これから社会に出る私を見て
親に不安を抱かせたくなかった。

心配をかけたくなくて
その頃、全く連絡を取らなかったんです。

 

今思えば、本当は明日にでも名古屋に帰りたかった。
旦那さんを置いて
逃げ帰る選択肢もあったはずなのに

父親に言われた
「親になることに責任を持ちなさい。
帰る家はもうこっちにはないからな。」
胸に突き刺さっててね。

 

父親なりの優しさだった。

「お前ならできるよ」の裏返し。

 

案の定、25歳で一人で生きる道を彼と決めた時
父親はこう言ってくれたんです。

 

「こっちでも仕事できないのか?」って。

 

帰る家はないってあんなに言ってたのに
やっぱり父親らしい優しさは
隠しきれなかったみたい。

 

でも、私は帰らなかったんです。

まだ此処で、やり残したことがあったから。

 

 

 

 

毎日が「居場所探し」

 

20歳前半は
本当に生きることに必死で
毎日が「居場所探し」でした。

 

くる日もくる日も家計簿を見て
訪れる未来が怖くなって
寝顔の無防備な娘を羨ましいと思ったくらいに。

 

20代前半にて
命と、家族と、自分の人生を
全て背負うことになるなんて
想像もしていなかったんです。

 

でもある意味、目が覚めたんです。

 

 

「できるかできないか、じゃないんだ。
やるかやらないか、なんだ。」

 

「一生準備なんて整わない。
整わない準備を続けるくらいなら
中途半端でもいいから挑戦し続けよう。」

 

「足りないものは、ちっぽけな勇気だけ。」

 

「悔しさは、原動力。」

 

 

妊娠中、退屈だった毎日に
本を読み更けていたかいあって
文才だけはあった私は
毎日ブログを書き続けました。

 

 

そうしたら、5年後。

これが「仕事」になっていたんです。

 

 

 

「あたりまえのものを磨くだけ」でいい

 

今も、ほぼ広告費を使っていません。

求人広告もプレスリリースも
したことありません。

でも、こうやってお客様が会いにいてくれる。

 

 

12年書き続けたブログは
もうGoogleの検索ワードにも
平気で出現していて
沢山の問い合わせをもらうことが増え

「継続は力なり」を物語ります。

 

 

 

私は、その時、気づいたんですね。

「あたりまえのもの」を磨くだけ
こんなにも人は強く美しくなれること。

 

こんなこと
学校でも会社でも教えてくれませんでした。

起業人生は
毎日が宝探しみたいに面白くなっていく。

 

いつしか私は「還元事業」に興味を持ち
社会起業家位になりたい、と
そう願うようになっていました。

 

 

 

男性と肩を並べて働く必要なんてない。

自分が持って生まれた性別個性
特徴特技を伸ばして

苦手なんて丸ごと後回しでも
人生は100年、何処かで克服できるはず。

 

それよりも一歳でも若い今日という日

何か新しい出会いを
何か新しい学びを
何か新しい挑戦をしなければ

何もなかったことになるのは、御免なのだ。

 

 

 

セラピストになった頃
私は随分ととんがっていたと思います。

 

若い母親として社会の中でうまく振る舞えず
全てを人のせいにして自分の欠陥に盲目で。

 

 

でも、セラピストになって
お客様に触れて

「人生の中で居場所をなくした人は
私だけじゃないんだ」
何度もお客様から教わりました。

 

離婚した人、子供を亡くした人
夫婦喧嘩をした人、彼氏と別れた人
十数年の恋が叶わなかった人・・・

みんなそれぞれ表面上では表しきれない
小さな闇を抱えてサロンに来ていました。

 

 

エステティシャンは
綺麗になりたい人を綺麗にするお仕事で

でも、セラピストは
疲れた人を癒してあげたり
許してあげるお仕事だと気付きました。

 

 

表面上の美しさだけが
女性の美しさではないことを知りました。

 

 

セラピストには
誰かを癒し、許す気持ちが
必要不可だと学んだんです。

 

 

21歳から24歳までサロン勤務をし
たくさんのお客様に触れる中で

私の性格を象徴する「とんがった角っこ」
お客様からの優しさが研磨剤みたいに働いて
どんどん丸く削られていく。

 

人に触れる、優しくすることが、恋しくなる。

 

 

 

「まことさんは本当によく頑張ってるよ」

そう、お客様に慰めてもらった。

「まことさんは本当にいい手をしてるね」

そう、お客様に受け入れてもらえた。

 

あの時私のことを指名してくれていたお客様が
研磨剤のように私の角を削っていき
いつしかまん丸になった「私の角っこ」のお陰で

セラピストが「天職」だと思うほどに
大好きになっていました。

 

 

「ただの母親で終わってたまるもんか」

 

 

「ただの母親で終わってたまるもんか」
そう、思って社会に飛び込んで
大きな挫折をした私。

 

 

 

右も左もわからない社会経験の低さが
自分の自信をどんどん削っていく。

 

・・・でも、気がついたんです。

 

当たり前に持っていた私の「個性」
何と思われたっていいから伸ばそう、と。

 

きっと本気の人を笑ったりなんてしない。

100人中3人でもいいから
社会の中で私の努力や懸命さや不器用さを
「よくやってるよ」と、認めてくれたらいいのです。

 

 

 

そう思えたら
心の重しが溶けていって
ふわっと宙に足が浮いてしまうくらいに
楽になっていく。

 

 

 

「働くって、こんなに楽しかったっけ」

 

 

 

 

働くことは、強制じゃない。

マストではいけない、ウォント(したい)であるべきで。

 

危ない、危ない。
一生懸命生きるところだった。

 

猫背で嫌々通う会社より
上を向いて楽しい毎日を選んだ方が
きっとわたしらしくいられる。

 

24歳で会社を作ったことも
25歳でシングルマザーを選んだことも
28歳で引越しをしたことも
30歳手前に会社を増やしたことも

全部私が私に対する「挑戦」でした。

 

 

あなたもっとできるでしょ、って
毎日が私が私の背中を押しているんです。

 

 

 

起業したら部下も上司もいなくなる。

間違ってても、誰も教えてくれないし
自分のためだけに働きがちになる。

 

私は、セラピストの私に
あの頃お客様が「預けてくれたお金」
今でも売り上げとは思っていません。

 

全部、未来への投資だと思って
日々、お客様が喜ぶ新しいサービスを
考えることがワクワクするんです。

 

 

 

あの頃、頑張りすぎていた私の肩を
摩ってくれたお客様にもう会えなくなって
お礼を言いにいくことができない分

こうやって、もっともっと美容の世界が
当たり前にナチュラルに還元して

もっともっと選択肢が増えていったらいいなぁ、と
そう思うのです。

 

 

 

隔たりもなく、差別もなく、優劣もない。

 

どれだけ科学科者が研究した
エビデンス付きの成分も

科学の進歩も魅力も知らない
私たち女性たちからしたら
「感動」という名の体験や体感
その製品の全てになってしまう。

 

 

両方大切だからこそ
ちゃんと「伝えていかなくちゃ」いけないのです。

 

 

 

 

 

20代の私は若々しくて
世間知らずで、ちょっとだけ間抜けで
すごく泣き虫でした。

 

 

だけど、挫折も痛みも孤独も知っているからこそ
繊細な心に触れる仕事ができたし
今でもそれは天職だったと信じてます。

 

だからこそ
30代になる私に
変えられる社会を本気で考えています。

 

 

あたりまえのものを、磨くだけでいい。

 

他から何を得られなくても
他から何を奪えなくても
私が生まれた頃から持っていた「あたりまえ」
とことん磨けばいい。

 

 

とことん磨けば磨くだけ
個性は、特徴は、特技に変わっていく。

いつのまにかコンプレックスは
チャームポイントになっていく。

 

日本に生まれたんだ。
日本にあるものを大切にしたい。

女性に生まれたんだ。
女性であることを最大限に生かしたい。

アトピーを患ったんだ。
アトピーを武器しにして多くの共感者を得たらいい。

たくさんの挫折を経験したんだ。
同じ境遇の人の共感者になれたらいい。

子供が生まれたんだ。
正社員なんてやめて
家庭と両立できる仕事を伸ばせばいい。

素肌が荒れてしまったんだ。
荒れやすい素肌を武器に
ファンデーションなんて脱ぎ捨てて
素肌をとことん育てて誰かの見本になればいい。

自宅でしか仕事ができないんだ。
家で起業できる仕事で
まだ他の人たちがやっていないことを
とことん伸ばせばいい。

 

 

置かれた環境のその全てを。

与えられた境遇のその全てを。

持って生まれた個性のその全てを。

 

全部「武器」にしてみただけ。

コンプレックスをチャームポイントにしただけ。

 

私という主人公の
見方と捉え方を変えただけ。

 

 

当たり前のことを
馬鹿にされても、ちゃんとやる

・・・それだけ。

 

 

 私の激動の20代は、もうすぐ終わる。

 

感慨深いし
本当に笑っちゃうくらいに
毎日が一生懸命にだったけれど

30歳になった私は、もう少しだけ
周りの人に視野を広げ
自分以外の世界を大切にして

足りなかったものを補う時間を過ごしたいです。

 

 

 

得意を伸ばすことはずっと大切だけど

そこを伸ばし切ったら
たまには「草むしり」を
してあげないといけないでしょう。

 

 

30歳になったら
私は夢を追いかけながらも
全力で「草むしり」をしたいと思います。

 

 

自分の環境は、自分で整える責任があります。

 

 

それをちゃんと背負える
そんな人間に、私はなりたい。

 

 

 

坂田まこと