ひとり親だからこそ
「ふたり分の愛情」を注ごう。
時に厳しく、時に優しく
苦しくなって理不尽に怒ってしまうことも
あるかもしれません。
でも、子どもが8歳なら、親も8歳。
わからないことは数えられないほどある。
これは、ひとりでもふたりでもおんなじこと。
私は子育てにずっと自信がなくて
ずっと路頭に迷っていたんだなぁ、と
今更ながらに思います。
彼と出会って、一緒に子どもをみてくれる安心感。
一緒に叱ってくれる安心感。
子どもと子どものように遊んでくれる幸福感。
こんなにも近くにあった
「小さな小さな幸せ」は
結局何よりもかけがえのない物と気づく。
失くす前に、あなたも気づいてほしいです。
本当に大切なものは、何か。
私も気づけたから。
だからどんな結果になっても、幸せ。
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それは途方も無い苦しみと隣り合わせで。
ちゃんと気づいていたからね。
自分が選んだ道を後悔したことは
ただの一度もありませんでした。
それなのに。
初めて「家族の別れ」を経験して
迷いの無かった自分が
当時の自分でも不思議に思えた。
私が何も言わずに毎日生きていれば…
何も壊さずに済んだのに、と。
だけど、2人目の我が子に会いたくて
たった2人で生きていくことを決めた、あの日の朝。
あの日から、この子は私の「親友」になった。
「親」子のような「友」人になった。
親子なんだけど、親友のようだった。
よく一緒に泣いたし、よく一緒に笑ったし
よく一緒に喧嘩しては仲直りをした。
買い物に出掛けた帰り道に「ママ、まってよ!」と
泣きべそをかく娘を見て
足を止めて待ってあげるとね。
さっきまでの不機嫌さが嘘みたいにさ。
「ママーだーーいすきっ」って胸に飛び込んでくる。
私が仕事で失敗して悩んでいると
「ママ、だいじょうぶだよ、リアちゃんがいるよ」と
肩を叩いてくれた。
そんな小さな小さな幸せが
どんどん積み重なって
私たちは深い愛に包まれていた。
でもね、仕事が日に日に忙しくなって
小学生になった娘と向き合う時間が少なくなって
ある日私は
娘の授業参観をすっかり忘れてしまった。
学校から帰ってきた娘は、とても悲しそうな顔で言うの。
「ママ、りあちゃんのこときらいなの?」って。
その言葉に私は震えました。
なんてことをしたんだろう、と。
ほんの些細なことでも
彼女にとっては些細なことでは無かった。
日々忙しくなっていく私の背中を見て
彼女は何も言わずに小さく傷ついていました。
それから私は、この環境を変えなくちゃと思って。
ひとり親だから、忙しいのは仕方ない。
でも、これは娘にとっては関係のないこと。
お父さんが居ないのだから
その代わりは誰が果たすのか?と言われると
頼れるのは私だけ。
それならば、私がお父さんがわりに
お母さんとして頑張るしかないのだ、と。
お父さんのように、強くならなきゃ、と。
だからね、私は行動するの。
例えその行動や決断が誰かの批判を浴びようとも
私はお母さんとして、お父さんとして
娘の生きたいように生きてやろうと思った。
仕事は私の全てではありません。
家族や娘が私の全てで、その先に私の未来がある。
「ママ、ありがとう」その言葉は
どんな魔法よりも効くことを、私は知っているから。
どれだけ傷つけても、悲しませても
この子は私を無償の愛で許してくれる。
それは他人との間には決して生まれない愛情で
この愛情が私に向けられている間に応えたいと
思うようになりました。
だから、私も変わりたいと強く願います。
子育てをする中で
悔しくて泣いた日は幾度となくありましたが
それも親としてのかけがえのない経験そのもの。
親になった人にしか分からない
かけがえのない試練そのもの。
いつか娘が大きくなって
このブログや記事を読んだ時
「ママ、ありがとう」とまた言ってくれたなら
それで良いのです。
北鎌倉に引っ越して
しばらく2人きりで居たので
これまでにないくらいに
それはそれは色んな話をしました。
実は数学の百のくらいが分からないことや
しりとりで「り」を繰り返して勝てるようになったことや
バトミントンができるようになったことも。
娘は少々おてんばで口も達者なので
他の人に愛されるか
いつも不安に思っていたけれど、大丈夫。
私がこんなに愛しているから
いつかきっと彼女も他の人から
愛される時がくる。
それは、こんな私が
新しいお父さんに愛されたように。
いつか素直に生きていれば
誰かが手を差し伸べてくれる時が来ることを
私は知ったからです。
苦しい時に手を差し伸べてくれた。
「一緒に住もう。」と言ってくれた。
娘のことも
「好きな人の子供だよ、愛せるに決まってるよ。」
と言ってくれたこと。
その言葉の数々に、助けられたこと。
娘にもいつか困った時に
手を差し伸べてくれる誰かと出会って欲しいから
この子が「愛されること」を祈って
子育てをすることにしました。
愛されたいなら、愛してあげよう。
許されたいなら、許してあげよう。
きっと、誰かと生きる時がやってくるから。
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