– 無料のお肌相談室 –
私に直接エステの予約やお肌相談が可能です
上記カ
レンダーへの質問・予約もこちら友だち追加

          

 

4/27(土)10:00-15:00間
自然派美容学校
「コットンハウス®︎スクール」
コットンハウス無料座学体験会
現地またはzoom にて、ご参加できます。

座学体験会&無料相談会はこちら

 

 

 

 

 

10代の若年妊娠者のための
「自然派美容学校」とは?

 


8日は国際女性デー。
11日は震災の日。
19日は一人娘の誕生日です。

少しだけ長くなりますが、振り返りました。

 

 

 

 

去年1年間
世界が変わってしまうほど
恐ろしい感染症の世界を経験し

多くの人が社会と遮断されて
暮らすことになり

私もひとり
組織を守るために飛び回った1年間。

 

 

みんなすごく、苦しかった。

 

私の周りのシングルマザーの友人が
つい先日破産宣告をして

何もしてあげられない無力さから

〈オンラインでいいならエステ教えるよ
だから、何か始めよう〉
声を掛けたことから始まりました。

子供を抱えて、社会で働くこと

 

30歳を超えてでも尚
こんなにも困難で大変な事をしているのに

まるで社会は足元をすくうように
同じスタートラインに立つことを
〈あたりまえ〉だと俯瞰する。

 

 

これがもし10代だったなら…

そう考えてみると
とても恐しく感じる時が今でもあります。

 

 

 

10代で妊娠した私は19歳で出産し
初めての東京暮らしは
妊婦から始まりました。

 

上京前に取得した内定は
取り消しになり
旦那さんの実家に同居が決まり
自由は無く

食べるものも寝る時間も
何もかも不自由になりました。

 

 

もちろん体も…

 

頼る人もいない、頼める人もいない。
お金がなければお手伝いも頼めない。


自分の家じゃないから

洗濯一つ、自炊一つ
何もかもお伺いを立てなきゃならない。

 

 

唯一の息抜きは
近くのパン屋さんに
パンを買いに行くことでした。

 

 

バス代も払えないので
毎日300円を握りしめて
好きなパンを買う毎日。

 

 

 

– 楽しいはずの妊娠生活。

 

私には思い出すだけで
目頭が熱くなるほどしんどかった妊娠生活。

それでも
お腹の子には罪は無かったから…

 

 

 

何よりも辛かったのは
そこからの〈社会復帰〉です。

 

社会経験がほとんど無いまま
大人の社会に飛び込みました。

月80000円以上の保育園費を支払いながら
ようやく内定をもらった
ウェディングの仕事。

 

貰った分だけ出て行く時期でしたが
とにかく社会の中で

自分の二本足で立てることが嬉しくて
新調した鞄を持って出勤する毎日が
充実していたなと思います。

 

 

だけど
世の中はそんなに甘くありませんでした。

 

 

 

 

– 3月11日。震災が起きました。

 

みなとみらいで娘と遊んでいた時です。
ビルが大きく横揺れして、数十分続きました。
地下鉄が封鎖され
夜中の2時まで取り残されました。

 

テレビで気仙沼が津波に襲われるニュースを
リアルタイムで見ていて
初めて〈このまま死ぬのか〉と思いました。

 

儚い命の尊さを
真剣に感じた瞬間でした。

 

 

– 正直、もう死のうかと思うくらい
辛い時期でした。

 

でも生きたくても生きられない人が
世の中にいるってことを
不本意な死に方をする人がいるってことを
私はその時まで知りませんでした。

 

生きることにも死ぬことにも〈選択肢〉があるのに
私は一体何を考えていたんだ、と
愕然としたんです。

 

 

 

 

 

その後
震災により私の内定はまた取り消しになり
一からの就活が始まりました。

 

子供がいて、20代前半で
社会経験もほとんど無い…
もちろん車の免許も無いし
たいした資格も学歴もありません。

しかもフルタイム働けないので
時短希望。
パソコンもまともに使えませんでした。

 

この状態で
どの会社が私なんかを雇うのでしょうか。

 

 

中学まで
学年上位の成績だったんです、これでも。
でもその時学んだ事は
何一つ役に立ちませんでした。

 

役に立ったのは運動部だった事でついた
果てしない体力くらい。

 

 

産後、生理も2年以上
止まっていたので肌も心もぼろぼろ。
過食から15キロも太ってしまい
21歳までは体重が60キロ超えてました。

 

恥ずかしながら
当時は「綺麗になる」余裕なんて
ありませんでした。

 

 

 

 

そうして、私はやっと
神楽坂のウェディング会社で
内定が決まるのですが
それまでに面接をした会社は45件。

 

そのうち子供や経験の無さが理由で
書類棄却されたのは42件。

3社以外は私のことを見た事も無いのに
棄却しました。

 

 

当時から
電車の中でも白い目で見られてきました。

 

この写真は
いつかも覚えていないくらい若い時です。

娘の年齢からして
20-21歳くらいでしょうか。

 

見た目だけで幼いことが分かります。

でも私は夜遊びしたことも
お酒を飲んだこともありませんでしたが
見た目からそう思われて
叱られることが本当に多かったこと。

 

「この子がお母さんなの?」
驚く目を何度も見てきました。

 

 

 

 

– 私の〈本質〉を誰も見てくれない –

 

悔しい。悲しい。
誰か教えてくれたら頑張れるのに
それすらチャンスを与えてもらえない。

 

頑張れば私は何でも出来るはずなのに
頑張り方すら分からない。

 

誰も何も理解してくれない。
私はこれでも
ちゃんとお母さんを頑張ってたのに…

 

 

 

そんな私に
ある日電車の中で声を掛けてくれた
おばあちゃんが居ました。

 

靴のまま椅子に立ってしまう娘に
手こずっていた時
後ろからポンポンと肩を叩かれたんです。

振り返るとおばあちゃんが居て
そっと娘にお菓子をくれました。

 

 

「あなたなら、大丈夫。」

そう言って
娘の靴を脱がせてくれたんですね。

 

 

 

 

 

 

その「あなたなら、大丈夫。」という言葉が
当時の私には「立派な母親になれてるよ」
初めて存在を肯定してもらえた気がして
嬉しかったことを覚えています。

 

そんな言葉一つで
何度でも立ち上がれるのに

 

その言葉すら貰えない時期が
あまりにも長すぎて辛かった。

 

 

「そうか、私は大丈夫なんだ。」

スタートラインはあまりにも違うけれど
私もこの子と一緒に成長してもいいんだ。
これから頑張ればいいんだ。

 

何も出来ない自分を
責めなくてもいいんだ。
これでも命を育てられてるんだ。

 

そうだ、環境に
不平不満を言っても仕方がない。

 

「私から、変わらなきゃ」と。

 

 

 

「何か行動しなければ」

 

あれから10年。

私は日々等身大で挑戦を続けています。

 

〈何か行動しなければ〉

その一心で働いた、今年の1年間。

その中で様々な出会いや環境の変化が
私を変えていったのです。

 

今年はこれをやろう、と
様々な目標を立て
今年ようやく動き始めたプロジェクト達。

 

 

ORGANIC MOTHER HOUSE
〈植物調合美容研究所〉Project
地方と都心を繋ぐ
化粧品製造事業を行うための
宮崎LABOの設立。

 

 

自然派美容学校
「オーガニックマザーライフ®︎スクール」
コットンハウス×パートナーシップメンバーの
雇用を創出するための
〈THERAPIST BANK〉
人材紹介事業の設立。

 

 

そして、もう一つ。

〈AOnoTSUBOMI〉
– あおのつぼみ、と
名前をつけた新たなプロジェクト。

 

それは私と同じように
社会的弱者と呼ばれた
〈若年妊娠〉を経験した女性達に

費用負担を出来る限り減らし
それでいて自立のための美容の技術
教えることで

社会的な自立を促すため
NPO法人設立を目指すものです。

 

 

協力者が集まるまでは
株式会社オーガニックマザーライフ
事業の一つとして、活動を開始します。

 

今日は
私が考える〈AOnoTSUBOMI〉Project
設立に向けての想いや経緯を
綴りたいと思います。

 

「あなたなら大丈夫。」
そう言われただけで
立派な母親になれた気がした。

 

私は〈若年妊娠者〉です。

 

年間1万4128件。

これは2017年度に
国内で10代の女性が行った
人工妊娠中絶の件数だと言います。

つまり、1日あたり
約40件の中絶が行われている現実。

 

他方で10代の母による出生数は9898人。
つまり10代の女性が妊娠した場合には
出産よりも中絶を選択する割合が
とても高いということ。

 

こうしたデータからは
10代の妊娠の場合
“意図しない妊娠”が多いことが
示唆されているのです。

 

加えて、その妊娠に対し
周りの家族を含めた環境が
当人の未来を按ずることから出産を反対し
「産みたくても、産めない」
そんな環境があることも知られています。

 

 

 

「できれば、生んであげたかった」

 

そう語るお客様と
幾人とも出会ったことがあります。

 

 

 

数字だけで見える社会
実際に置かれた社会
少しだけ違うことがあります。

 

果たして若年妊娠は
「自己責任」なのでしょうか。

若年妊娠者についての記事はこちら

 

以前こちらのジャーナルで
第7回目の記事に登場させていただき
それから複数の取材を受けてきました。

 

そんなに珍しいことではないのでは、と
そう思っていた本人よりも
周りはその私の生き方を
非常に面白く捉えていて下さり

多くのエールを頂いたことを
覚えています。

 

私の取材記事はこちら

 

多くの若年妊娠は
ネガティブな社会問題として
捉えられがちだけど

私は正直
〈若い時に妊娠したら苦労するよ〉
誘発しているようにしか感じておらず

本当はそうではない事も
沢山あるのに

社会的なニュースは
いつも人間の側面しか見ていないような
そんな気がしてならないのです。

 

 

10代で妊娠したからこそ

 

私は母乳育児で
困ったことがありません。

 

産後の体の回復も早く
非常に安定した母乳育児でした。

 

溢れるほどの母乳が出たので
人工ミルクを買うことはほぼ無く

正直体力が有り余っていたので
夜なべして布おもつを手縫い手洗いし
高い紙オムツを買う事もなく

出来る限り低所得でも暮らせるように、と
若いなりに工夫して
体力の限り働きながら育てた幼児期。

 

 

正直、社会の中での風当たりは
非常に強く

どちらかというと
〈自分自身の社会的教養の低さ〉と
〈若年妊娠者への理解の無さ〉
何よりも辛かったことを覚えています。

 

 

それは誰のせいでもない。

 

社会的構造上の問題であり
理解できなかった側も、もちろん私も
どちらの責任でもないと思っています。

 

当時はそれなりに
他人のせいにした事も
幾度となくあったけれど

今思えば
〈若くして生んだこと〉
可能性の伸びしろ
誰よりも長くあったように思うのです。

 

 

いたって子供はとても丈夫で
風邪ひとつひく事なく
保育園に呼び出されて仕事を早退することは
ほとんどありませんでした。

 

身体共に活発で
3月生まれでも身長も体重もしっかりしていて

正直、健康面での子育てにおいては
とても恵まれていたと思うのです。

 

 

では、一体
若年妊娠者の未来は
何故こうも暗く捉えられがちなのか。

 

それは育てることと働くことへの
両立の難しさにあると思うわけです。

 

10代の妊娠と言うと
どうしてもゴシップネタのように
取り上げられがちで

そもそも社会の中で
最初から対等に見てもらえないこと
圧倒的に多くなります。

 

 

それは社会的構造上の問題で
本人だけが責められる問題ではない。

 

「避妊もしないで、軽率なことをして」

 

どんな場合でも
そういう前提で見られているので
そもそもの〈スタートライン〉
あまりにも不利なのです。

 

 

10代での妊娠に対して
白い目を向ける社会の構造の中で
強く生き抜くには
それ相当の努力と信念が必要であること。

 

それでいて
不慣れな育児環境の中
仕事や学業と両立しながら

24時間目の離せない命
向き合い続ける精神力は

決して「何も考えていない」子が
出来ることではないはず。

 

 

例え、やり方が不恰好でも
その子なりの〈母親〉と言う形に
懸命に近づこうとするその姿に

誰もが理解を示す、その気持ちが
彼女達の未来を
何よりも大きく変えてくれるのに、と
時に虚しくなるのです。

 

性教育の重点化はもちろんのこと
妊娠後の社会的自立を促すこと
生きがいを見つけるための
教養や技術支援
本当の支援になるのでは、と
日々思うのです。

 

 

だからこそ私くらいは
〈若年妊娠〉について
ネガティブな未来を語ることを
もう辞めようと思い

このプロジェクトを始めたいと企画したのです。

 

 

〈若年妊娠者〉は
果たして社会的弱者なのか?

 

私ははっきり言って
これから子供を急いで産むことも
それによりキャリアを失うことは
ほぼ、ありません。

 

望んで手放すことはできても
自動的に奪われることはないのです。

 

 

多くの女性が
これから結婚や出産を考え
懸命に積み上げた10年のキャリアを
失うことが多くなる30代。

 

だけど私はこれから
子供の成長と共に
多くの可能性を逆回転するように
手にしていくのです。

 

 

今こうして宮崎に事業所を設立し
地方でスタッフを雇い
新たな化粧品事業に挑戦できるのも

この子が大きくなり
〈自己意思決定〉を持ち合わせる年齢に
近づきつつあるからで。

 

11歳になる娘が成長するにつれて
私は一度は失った時間
徐々に取り戻すことができています。

 

 

24歳の時。

私は娘が小学生に上がる前の年に
自宅の子供部屋の一室で
ORGANIC MOTHER LIFEという
小さなオーガニックエステを開業し

その時稼いだお金の一部
毎月約50万
それらを積み立て保険に預け続けて早5年。

 

この額を聞くと
すでに普通じゃないと
思うかもしれませんが

当時勤めていた時に月収は20万。

 

退職時に顧客がついてきて
毎月60件以上の予約が
入るようになってから
月収は100万を超えました。

そのうち50万円を毎月貯蓄していた
ということです。

 

若くして産み、手に職を持ち
ブルーオーシャンと呼ばれる
競合店が少ないビジネスで働き始めたことで

当時、使う用途も時間もないお金を
全て〈未来貯蓄〉に回していました。

 

 

このとおり
若くして産んだことで
お金と時間の使い方
必然的に人一倍考えるようになるのです。

 

今でさえ当たり前のように
お母さん達は時間とお金を節約しますが

若い時に一番無駄にするのは
〈時間とお金〉なのです。

 

何も考えない時間を過ごすよりも

不自由ながらも
懸命にお金と時間に向き合い続けた
私の20代は

これからの私の30代の人生に
様々な挑戦の時間を残してくれたんですね。

 

つまり
若い時の妊娠は
〈その先10年後の未来〉
様々な可能性を残してくれるということ。

 

若くして産むことが大変なのは、最初だけ。

あとで思う存分
働くことは出来るのです

 

一度失った時間は、必ず取り戻すことができる。

 

その取り戻した時に
どれだけのエネルギーを注いで
爆発的に躍進できるのか。

私は実はずっと
社会から試され続けていたわけです。

 

 

物事の全ては、本人の考えようです。

負けないでください。

あなたは、まだ
スタートラインにすら立っていません。

 

捉え方ひとつで
私たち若年妊娠経験者は
〈社会的弱者〉にもなりうるし

反対に
〈社会的強者〉にもなることができます。

 

 

そのために必要な〈自立支援〉を
本格化させてみたい。

 

私がこうして
子供を育てながらも
組織を作ることができたように

夢を追いかけ続けるその気持ち
妊娠や出産をきっかけに
お母さんたちに失ってほしくない。

 

 

20年間、子育てをすると
自然と子供達は親元を離れていきます。

 

もし私が18歳で母親になった時
全ての夢と希望も手放していたとしたら

38歳で
夢も希望も何もないまま
本当の独りが、待っていることになります。

 

 

そんなに悲しいことはありません。

 

 

 

つまり
私たちに必要なことは
〈残された長い未来の働き方を支援する〉

そのための独立支援なのだ、と
そう確信したのですね。

 

〈AOnoTSUBOMI〉Project
目指すもの

 

青の蕾。

その名の通り
あまり多く見かけるものではありません。

 

 

青い花はとても少ないのです。

 

そんな青い花の蕾は
これから咲く前の状態で
まだ誰もその花がどんな風に咲くのか
知らないでいます。

 

この様に
〈青の蕾〉の「本質」
本当は誰も知らないことが多い。

 

この蕾を彼女達と置き換えた時

その蕾は
花壇と見立てた社会の中で
明らかな少数派(マイノリティ)なのですね。

 

そのマイノリティな環境の中で
時には異質な目を向けられる事も
あると思うのです。

 

それでも懸命に太陽に向かって上を向き
前を歩み続ける若い女の子達の背中を
〈AOnoTSUBOMI〉と名付けました。

 

 

つまり
どんな花に咲くかも
どんな色に咲くかも

マイノリティだからこそ前例に囚われず
〈私らしく咲く〉権利を
彼女たちにも与えられるということ。

 

こうして〈AOnoTSUBOMI〉達が
それぞれの社会的自立を目指し
自分たちなりの花になるように支援する。

 

そんな真新しい形の美容学校
10代の母親だけを受け付ける
そんな仕組みとなります。

 

エステの技術学費については
年間407000円。

1年間で自宅開業または
勤務に生かせたことが証明できる事で
「半額免除」
さらに協会員として次の生徒に対し
習った技術を教えてくれた人に関しては
さらに「残った半額も免除」とする

費用面の負担を
努力を認められればゼロになるような

頑張ったら頑張った分だけ
社会的に評価され優遇される

・・・そんな仕組みにしていこう、と
仲間達と話しています。

 

 

そして何よりも面白いのが

 

集まった10代の母親たちに
オーガニックエステなどの
美容技術と知識を教えていく活動の中で

〈AOnoTSUBOMI〉という
10代向けのコスメを開発するのです。

 

つまり1000円代で買える
オーガニックコスメを

授業の一環として共に開発し

一歳でも若い今日という日
皮膚と私を大切にする活動
同じ10代で母親になった彼女達に企画×製造し
販売して自立してもらうというもの。

 

 

そこには
さらに巧妙な仕組みが必要ですが
シンプルにいうと、こんな感じですね。

 

 

20代になった生徒さん達は
自動的に卒業生となり
今度は彼女達が広報となり
そのコスメの販売部員を担うのです。

 

これはあくまでも構想段階ですが

10代だからこそわかる
〈10代が使いたくなるオーガニックコスメ〉
企画させていく事。

 

 

その製造を宮崎県で、みんなで行う事。

 

さらに言うと
学んだ後にセラピストバンクに登録し
アルバイトなどを経て
出来ることを増やしていくのです。

 

こうして
彼女たちだけにできる
「30年キャリア」の無限の可能性が
広がっていけばいいなと思っています。

 

 

さぁ、試合はこれから始まります。
まだ終わってなんていません。

まずはスタートラインに立つことから始めよう。
10年後のキャリアが、私達を救うのです。

 

– @LINE からお問い合わせ –
こちらよりお問い合わせが可能です
友だち追加

 

 

 

 

私の半生が自叙伝になりました。
2022.6.20新刊「傷つくほどに美しくなれる」
Amazonはこちらから

 

– インスタはこちら –


友だち追加