大きな声を上げて泣きたい夜がある。

後悔して寝顔を見ながら
静かに泣く夜がある。

親なんてみんな

完璧になりきれなくて

「なんで私はこんな親にしかなれないんだろう」と
悔しくて悔しくて
理想の親からかけ離れていく自分の行いを
毎晩、寝顔を見て悔やむよ。
 
 
後悔のない子育てをしてきた親なんて、どこにもいない。

 
 
あなたの親も、私の親も
そして、私という親も
後悔なくして子育てなんて終えられない。

 
 
だから私はね

「いい親」を辞めることにしました。

 
 
 
 
 
いい親なんて定義を自分に決めたりするから
ちょっとした娘の行いや、周りの視線を気にして
感情に任せて怒ってしまうことがあるのでしょう。

私も人間なので

仕事や自分のこと以上に
娘のことに悩み苦しんで生きてきましたよ。
いつも仕事する時間よくありますね!と言われるけれど
正直、ないですよ。笑

本当に本当に限られた時間に
仕事をしています。

出来るだけ、6時から寝かせるまでは
お母さん、主婦しなきゃって
いつも自分に言い聞かせてやっています。

だってね

携帯を触っているとね、娘にこんなこと言われるんですよ。
「おかあさんが、ふつうのおかあさんだったらいいのに」
「にんきものじゃなくていいのに」

「おかあさんのけいたいになりたい」って。

子供って、どこまでも真っ直ぐて素直。

親が忙しさに負けて盲目になるのに
子供はどこまでも素直で
無償の愛を向けてくれる。

今みたいに
お腹を触っていないと眠れないとか
おかえりのぎゅーして欲しいとか
いつかはしてくれなくなるのに

なんで「明日すればいいや」と
親の私たちは
「今この時の我が子との時間」を軽視してしまうのだろう。

この子にとって、今日のこの時間は戻ったりしないのに
親はまた繰り返せる、取り返せると誤解してしまう。

でもね、それって悪いことではないよ。

 
 
 
 

だって、私たち親にも生きなきゃいけない人生がある。
正直、親だからこうありなさい、とか
親だからこうしなさい、とか

本当に苦しくなるし
その通りの人が何処にいるの?と言いたくなる時がある。

親にしか分からない苦悩と戦いがある。

それは、子どもが違えばみんな違う。

子どもも大人も
「女の子は女の子らしく」「男の子は男の子らしく」というと
苦しさを感じるように

「親は親らしく」なんて言われたら、やるせないでしょう?

 
 
 
子育ての教科書を読めば読むほど
苦しくなる、そんな経験ないですか?

私は嫌いなんです、子育ての本。

私がこれまで失敗してきたことがたくさん書いてあって
それがまるで「ダメなこと」みたいに
怒られている気がして

私は私なりにあの子と向き合ってきたつもりでも
世間は違うのね…と落胆する。

 
 
 

完璧な親なんて、この世のどこにもいないのに
私たちは何故か「正解」を求めようとする。
それがいい親を、ダメな親にしているとも気がつかずに
人は「当たり前」を「正解」だと思う。

いいじゃない。

私には私の人生があるの。

親でも、その前に、ひとりの人間だもの。

あの子を育てる責任は、私にある。
その覚悟もあるし、命だってかけられる。

でも、だからといって
「いい親」になれるかなんて分からないし

あの子もあの子だけの、
私も私だけの「命と人生」だから

当たり前の生き方や、子育てなんて出来ないの。

夢や仕事が大切なら、両立すればいいだけ。

 
 
 
諦める必要はどこにもない。
 
それを「子供がいるから」と言い訳にしないで。
諦められないから「夢」なんだ。
 
諦められるなら
それはただの「憧れ」でしかない。
 
私だって挫けそうな時に
いつも自分にそう言い聞かせては立ち上がってきたの。
 
 
 
 
 
 
 
 
時間がないなら、作ればいい。

朝5時に起きて仕事して
娘を起こして、学校に見送ったら
また自分の時間を削って好きなことをしたらいい。

夕方6時にはなんとか仕事を終わらせて
家に走って帰ればいい。

「ごはんまだー!」と急かす声にも穏やかに返事して
作り置きしたご飯をあっためて
愛情だけはたっぷり詰めておけばいい。

叱るときは、目をみて叱って

よそ様に迷惑をかけたら、頭を下げたらいい。

夜は一緒にお風呂に入って
一緒に寝たらいい。

親が約束を破ったら、素直に謝ればいい。
そこから「約束は守るもの」だと
自然と伝わればいい。

そもそも、何もしていない
何もできていない、そんな親なんて何処にもいない。

子どもを生んだ時点で

「よく頑張ったね」って本当は抱きしめて褒めてあげたい!
 

 
 

不器用でも、めちゃくちゃでも
親は親なりに親らしく「親」をしている。
お手本や当たり前なんて
目の前にある「小さな命」には通用しないよ。

どの子をみても、同じ性格なんてないんだもの。

人によって違うからこそ、いつまでもどこまでも


「憎らしいほど愛おしい存在」なのだ。
そして私たち親にとっては
「ちっちゃな神さま」みたいに
かけがえのない存在なのだ。

 

私はね、子育てほど

悩み苦しんだことはないの。
仕事や自分のことなんて簡単に思えるほど
子育てほど
ゴールの見えない道はない。

この子が将来どんな子になるかは
未来にならないと分からないから不安でいっぱい。

 
だけど、私も後悔はしたくない。

「いい親」になれなくていいから

あとで後悔のない子育てをしたい。
うちの親も、よっぽど昔は大変な親だったけど

今思えば2人は2人なりに
必死に子育てしてきた結果だったんだなぁと
結婚式でみた父の涙で、全て知った。

その結果、私はこんなにも逞しく育ったよ!

これって、いい親だったってことでしょう?

世間からしたら分からないけれど
私は両親が産んでくれたこと、育ててくれたこと
いつも期待を持ってきてくれたこと
時に叱って、許してくれたこと。

離れて暮らす私のブログを読んでくれていることも
みんな知ってるから

苦しい時も「親を悲しませなくない」っていつも思ってた。

だから私も2人を見ていて
周りと比べるような子育てはやめようと思った。

だったら「ダメな親」でいいと思った。

だって、私だけかもしれないけれど
「こんないい親いない」って、本気で思ってるんだから

 
結果良ければ全て良しだ、と思っていたい。
子育てに悩むくらいなら
その時間を、我が子と話す時間にあてよう。

どうにもならない時は
とにかく強く抱きしめてお互い落ち着こう。

泣いても喚いても怒鳴っても
この子の心は動かせない。

動かせるのは、おかあさんの愛情だけだもん。

このブログを毎日、こんなに長く書くのは

「娘にあてた手紙」だからだよ。
 
だからどうか、いつか届くといいな。
 
 
 
 
 
 
私は「いい親」辞めました。

その代わり、この子だけの「最高のママ」になる。