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個人に送られてくる
「誹謗中傷」を社会は一体、どう考えるか。
どうやら私は
特定の同業界関係者グループに
怖がられているらしい。
多分私の良くない噂をする人を
見た事がある、と言う人も
きっといると思う。
多くの人は
「自分は巻き込まれたくない」と
その場では同意をしても
見て見ぬふりをして、傍観する。
まぁ、それが人間というものだけど —
昔は
「こういうことをされている」と言うと
周りにもっと悪く言われる
例えば
あの子と付き合うと良くないことに
巻き込まれるよ、となるのが怖くて
ずっと黙っていた時期もあった。
仕事が無くなったらどうしよう、とか
そういう個人の気持ちを
分かってやっている気もする。
密かにDMしてくるあたりが
本当に女性的、と言うか
心が貧困してることがわかる。
でも、私には彼女たちを
変えることは決してできないのである。
「正義中毒」と、どう向き合うのか。
昨年は薬事的な指摘で
大量のSNSリンクを
貼り付けて百貨店にメールしたり
行政にも坂田さんの会社を招致するな、と
メールを打ってきていた。
「関係者がタグ付けされて困ってる」が最も多く
多くの取引先との縁を切りたかったのか
私のことを
おもしろく思わないのか
そこにとても必死になっている様子だった。
知り合いの会社には
「あなたの化粧品が
坂田さんのものみたいになってます」と
匿名で何度も
送られてきたと言う。
誹謗中傷をされている、と
告白文を公開したら
「あなたのことを書いてますよ!」と
全く関係のない人に報告したりしていた。
それで傷ついた人から相談があり
判明したこともあった。
最近はネタが尽きてしまったのか
手法が変わってきていて
専ら「コロナ警察」に変わってきた。
「皆んなこう言ってますよ」や
「関係者も怖がってますよ」が
基本ベースにあって
どうやら私の活動を良く思っていないらしく
ある人には名前の出た状態で
「坂田さんと仕事をしないほうがいいよ」と
DMをしたこともあったという。
分かっていても、止められない。
もう一種の病気のような状態である。
でも、大体、内容や言いたい事は
数年変わらなかった。
■同業界人であること。
男性と女性がいること、チームであること。■関係者が共通していること。
■妬みや嫉みが強い文章であること。
■関係者や皆さんと、いう言葉多用する癖がある。
■一人ではなく皆んなの意見ですよ、という何故か一人では立ち向かって来ない。
■大衆の意見という程が基本。
■関係者との縁を切ろうとしてくる内容が多い。
■被害者的な立ち位置で連絡をしてくる。
■ほぼリアルタイムでブログやライブを見ていて、即座に送ってくる。
■ありきたりな誹謗中傷が多い。
(発信内容、コロナ、肌荒れ、薬事的な指摘が多い。)
昔は呼吸困難になる程
過敏に反応していた頃もあった。
周りに「気にしない方がいいよ」と
言われたけど
言われた本人は
そういう訳にもいかなかった。
寝る時も思い出してしまう。
人に会っても考えてしまう。
「この人も裏で悪口を
言っているのではないか」って。
昔は、私も自分に自信が
なかったんだろう。
周りにはこういう事は
言わないほうがいいと
そう言われてきたけれど
ある時から
「なんで悪いことを
私がしている訳ではないのに
コソコソ生きていかなきゃいけないんだろう?」と
疑問を感じるようになっていった。
ストーリーに上げたように
個人的な感情や
良くわからない大衆の意見を
「代わりに私が言いに来ました」
程で送られてくる
あまり意味のない内容が多いのだが
どう考えても同一人物
同関係者だと思う内容が多い。
「99対1の不幸」
つまり「99対1の不幸」なのである。
この人達は
私の周りの1%以下の大衆でしかないのに
私はその1%以下に心を奪われて
99%の人を
信じられてなくなっていたのだ。
心が狭くなっていたのは「わたし」。
心が貧困していたのは
私の方だった。
こんな事少なかれ多かれ
表に立つ人は言われているだろうし
わざわざ騒ぐ必要もない事なのに
勝手に自分で自分を傷つけていたのだ。
何も言われていない時も
何度も思い出していたのは自分。
痛みのない刃に
勝手に痛みを感じていたのも自分。
全部、私の〈心の問題〉だった。
ある時から
「好きなようにさせてあげよう」と
思うようになり
隠すことをやめた。
そう、執着を無くしたのだ。
この人達は
過去の私の事を言っている、であれば
前に進んで成長して、結果を残し
信じてくれる人達だけと
素晴らしい仕事をすれば良いのでは?と
そう思うようになっていった。
現実に、私の事を噂でそう聞いて
仕事をしないと判断する人は
ほとんどいない。
いたとしても
私は知らなくていいし
そういう考えなら
それまでだと思っている。
そこに執着する必要がない、と
学んだのである。
ある時から、周りの意見が
どうでも良く思えるようになった。
目の前にいる
「顔の見えるお客様」が全てで
その人たちが救われていくなら
もうそれでいいのではないか、と
そう思うようになった。
周りがどれだけ正論でも
基本的に前例のない事をすれば
ネガティブな声は
ゼロになる事はないのである。
であれば
そこに心を囚われるより
自分に自信を持って前に進み
結果や成果を作り続けていくしかない、と。
信じてくれる人達だけを
信じていけば良いだけだと。
すると、心が美しくなる気がした。
私という人間を良く知らない人に
正しく理解されようなんて
我儘だったのだ。
そんなこと無理だと思うし
きっとこの人たちも
私のことを良く知らなくて怖いだけ。
「間違ってる事を教えてあげないと」、と言う
正義中毒の一種みたいなもので
もうこれは正面で
向かい合っても治らない。
勝手に怖がって
足を引っ張りたくて仕方がない。
でも方法がないから
個人や周りに刃を向けてしまう。
法的に罰せられるなら
さっさと訴えたほうが早いのに
そこまででも無いから
リスクは背負えない。
その繰り返しだ。
これが「誹謗中傷」というのなら
もう立派な社会問題だと思っている。
でも、日本の法律はそこに追いつかない。
だからこそ
どう受け止めるのか
個人が強くなるしかないのである。
私だけに向けて来る刃なら
逃げも隠れもせず
受け止めてあげられる。
だって私は
あなたの事を知らないんだもの。
〈名も無き人の意見〉は
誰の意見でもないから。
4年前から言われるようになり
私はいつしか
こういう連絡が来るたびに
「では何故、指摘されるのか」と
自分の盲点を探すようになっていった。
すぐに改善し
新しい事業を始めた。
指摘されることで
納得できる事はすぐに訂正した。
その上で
新しい企画を作り進めるようになった。
こういう意見もあるのか、と
学ぶようになった。
もっと良い魅せ方があれば
違う魅力が増すのではないか。
傷つけられる度に美しくなれば
どんな傷も
痛くなくなるのではないか。
「傷つくほどに美しくなれる」なんて
この人達はきっと、知らないのである。
悔しさは原動力。
悔しいままでは、無駄な傷ばかり。
傷ついた心で足を動かし
ただただ
成長すれば良いだけだったのである。
傷はいつしか
自然と癒えて瘡蓋になる。
無理に治そうとするから跡になる。
「放っておく勇気」を持ち合わせた時
私たちは誰よりも
強く美しくなれることを知った。
坂田まこと
#傷つくほどに美しくなれる
私の半生が自叙伝になりました。
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