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「自由」ってどこにあるの?

 

私はずっと、自分が家庭的な人間だと
思っていました。

 

大切な人ができて、愛する人ができたら
自然と家庭を持ちたいと
また、そう思えると思ってたんです。

 

 

でもどうやら今の私には
暖かい空気が流れる
休んでも怒らない、失敗しても叱らない

辞めたいといっても

「休んでもいいんじゃない」

 

・・・そう言ってももらうことを

逆に求めていないようです。

 

 

「休みをとりなさい」よりも
「もっとあなたならできるよ」の方が
何倍も嬉しいのです。

 

 

 

私の可能性を、もっと信じてほしいのです。

 

 

 

 

 

 

弱さも美しさというならば

 

20歳前後

幼い子供を育てながら
たくさんのことを我慢してきました。

 

 

子供を授かれない人が増える中で
なんて贅沢な悩みを書くのかと
叱られてしまうかもしれないけれど

授かった人には
授かった人なりの葛藤があるということを

どうかわかって欲しいと思います。

 

 

たくさん出かけたかった。

たくさん出逢いたかった。

少しでも広い世界が見てみたかった。

 

 

 

 

20代。
周りの友達は華やかでキラキラしてた
Facebookから流れてくるフィードが
まるで別世界だった。

カラフルなミニスカートを履きこなして
真っ赤な口紅で笑ってて

たまに不意打ちに流れる動画を見ると
聞いたことないくらいのネオンと音楽が
私の知らない世界に住む彼女たちとの差を
思い知らせてくるような・・・

 

そんな不思議な感覚。

 

でも「羨ましい」とは思いませんでした。

 

 

だって
見たことも感じたこともない世界だから
むしろ「違う世界」に見えて

少しだけ、怖かったのです。

 

 

私と違う世界に生きる人たちが
こんなにも周りにたくさんいて

私は大きくなったお腹をさすりながら
これから家庭の中で生きていく。

 

 

幸せと恐怖が入り混じるような複雑な心境を
彼の家でこもりながらも
空が見えない天井をずっと見続け
想いふけていた頃が懐かしいく思う。

 

あの時は、未来が全く見えなかった。

私はこの子と、どんなふうに生きていくんだろう。

 

 

 

周りに手本なんていない。
周りに見本なんていない。

10代の母親がどう生きたら正解かなんて
誰も教えてくれなかったし

正解なんてそもそも無いのかも、と
答えが見つからない世界の中で
たくさん苦しみました。

 

 

今思えば、全てが特別な経験だったんだよね。

 

こんな経験をした子は
そういないかもしれません。

 

10代で親になっても、若くして家庭を持っても
社会の中で必要とされることを
私は証明したかったのです。

 

これは5年前起業する以前から
ずっと心に抱いてきたことでした。

 

 

 

たくさん我慢して、たくさん自由を失ったけれど

お陰で私の相棒
こんなにも大きくこんなにも逞しく
私の一番の理解者になってくれました。

 

 

お父さんを作ってあげなくちゃ、と
そう思って再婚も考えたけれど

娘はそんなことは望んでいなかったこと。

 

 

「ママと居られれば、それでいい」

・・・あぁ、なんで気づけなかったんだろう。

 

 

 

私は自分が
楽になりたかっただけでした。

一人で責任を背負うことが怖かっただけ。

 

この子の未来を
たった一人で背負うことが怖かっただけ。

 

私、なんて馬鹿だったんだろう。

ここまで育ったじゃない・・・
これでも十分に、頑張ったじゃない。

 

 

この子を産むって決めたその日に
親になる覚悟を
決めたんじゃなかったのか。

 

当時、自分がすごく恥ずかしくなったよ。

 

「ママが幸せになる時は
わたしも一緒に幸せになる時だよ」

10歳になる娘が
寝際に、そう、呟いたことがある。

「そうだよね。
私たちは相棒だもんね。」

 

 

 

何も言葉を発せなかった
赤ちゃんの頃を思い出すと
その言葉の重みは、感じきれないほど。

 

そうか、そうだったのか。

 

 

 

私たちに
一つでも多くの選択肢を与えて

 

世の中は不平等だと思った。

 

こんなにも頑張っているのに
どうして自由と選択肢は
平等に与えられないんだろう、と。

 

 

・・・でも、いつしか気付くんです。

自由と選択肢は与えられるものなんかじゃなく
自分で手に入れるもんなんだ、と。

 

私は周りに不平不満を
撒き散らすくらいなら

自ら維新して
「誰にも理解されない」と嘆くより
「誰にも理解できないだけ」と思って
前に進むしかない。

そうやって生きることしか知らなかったから
私はそれでも十分に幸せを感じられる。

 

・・・そうやって、ずっと生きてきたんだもの。

 

 

だから、私は自分の人生をかけて
母親たちが活躍できる小さな社会を

私の半径3メートルに、ゆっくりと創造する。

 

半径3メートルの小さな世界を変えていく。

 

そうすれば、多くの人が共感して
自分の半径3メートルの小さな世界を
私と同じように、少しづつ、少しづつ、変えていく。

 

そうやって多くの女性が変わり始めたら
全国で小さな社会が変わり始めて
ふと気がつく頃には
私たちのような「働き方・在り方」が
当たり前になっているかもしれないでしょう?

 

 

 

10代で母親がどんな生き方だったら
正解になるだろう、と
模索していた20代。

 

でも、前例なんて多くはなかった。

 

多くの人はその物語を
こんなふうに公に書くことはないだろうし
たくさんの共感者はいたとしても
発信をしていく人は少ない。

 

 

私は、毎年少しづつ
自分の自由が広がっていく中で
2022年の4月まで
もっと大きな世界に行くことを決意したのです。

 

会社を今よりも3倍も大きくして
ボランティアではない
本物の社会貢献をしたい、と。

 

 

私の周りに尊敬できる先輩がたくさんいます。

 

私よりも10年も20年も長く生きていて

それでいて
自分の事業を大きくしながらも
多くの人を救っていく社会事業をやってのける。

 

そんなかっこいい大人たちが
私の生きる道を教えてくれました。

 

最初は真似ることから始まるかもしれません。
許してもらえるなら、学ばせてほしい。

 

 

いつか私にしかできないものにするから
それまで一人でも多くの人が
応援してくれることを祈って

私はブレずに生きていきたい。

 

信じて色んなことを教えてくれた
人生の先輩たちに恥じぬよう

こんな私を信じて育てて守ってきてくれた
そんな人たちが報われるよう
私は必ずこの世界で
成功しなくちゃならないの。

 

 

 

 

 

あの頃、大きいお腹をさすりながら
空が見えることはない一生ない
まっさらな天井を

ずっと意味もなく見つめていた頃。

 

 

そんな私に

「あなたはこんなにも立派になれる」

・・・そう、教えてあげなくちゃ。

 

 

 

 

あの頃、周りの社会から置いてけぼりにされて
たった一人で向き合っていた
「可哀想な人」だった私を

そうじゃなかったんだ、と
気づかせてあげなくちゃ。

 

 

 

 

 

私はビジネスを
金儲けだけのためにやるのは嫌いです。
そう思われるのも、嫌いです。

そんな生半端な覚悟で
生後3ヶ月からこの子を預けて
ここまで働いてきたわけじゃありません。

 

私は自分が生きてきた環境を
「自分の力で」変えていきたかった。

人のせいにも、子供のせいにも
私はしたくなかったのです。

 

 

 同じように母になり、夢を手放したすべての女性たちに

もう一度手に職を身につけ
もう一度覚悟を決め
もう一度歩みを始めれば

必ず「小さな社会」を変えていけることを
私はこんなにも楽しんでいるから。

 

 

だから生徒さんやお客様には
一緒にその世界をみていて欲しいと
そう、思って綴るのです。

 

 

このブログを読んで
笑う人もいるかもしれません。

 

 

でも応援してくれる人の方が
圧倒的に多いことも、知っています。

 

 

オセロのように
両端を責められて逆転されるような
そんな人生を歩みたくありません。

 

私は、小さな社会に認められる
女性社会起業家になりたい。

そう決めたから。

 

 

それまでは、この子を置いて
幸せになんてならない。

 

・・・まずは2年。そして、5年。

 

35歳まで私はこの子と一緒に走り続けます。

 

 

この子がオーストラリアに留学して
私はきっと5年後にまた
たった一人になるかもしれない。

 

子育てはたった10年で
半分が終わるのよ、と
そう教えてくれた人がいました。

 

本当その通りです。

もうこの子は、子供じゃありません。

 

 

 

母親は、20年の未来計画を立てるべきです。

 

自分の可能性は
自分で設計図を描き
自分でデザインするのです。

 

多くの人が
未知なる世界への挑戦に保守的になり
リスクや時間とお金の損失を考えます。

しかし「新しい可能性」の多くは
形の見えない出会いやインスピーレーションとして
突然に現れ、心に突き刺さるのです。

 

行動せずには、いられなくなるのです。

その感覚を、私は知っています。

 

 

子供の成長と一緒にどんどん楽になる
というよりも

子供の成長と一緒に
「どう自分も成長していくのか」か考えると

こんなにも毎日ゆっくりと
「自由」と「選択肢」に溢れていくことに
多くの喜びを感じられる。

 

「あたりまえ」にあったはずのモノほど
こんなにも尊いことを
この子は私に、教えてくれました。

 

 

「大志を抱け」

という言葉は
母親にも言えることでしょう。

 

子供だけじゃなく
母親だって夢を抱いていい。

そういう環境を
自分で作っていかなくてはいけない。

 

私はこれから
地方地域と取り組む
女性雇用や地方創生の社会事業

自身の起業して5年貯めてきた
3000万以上の資金を投資します。

 

 

生徒さんがこれから各地で展開する
ORGANIC MOTHER LIFE のブランチャイズ事業にも
母親たちが作る新商品の開発費にも
私は、投資していきます。

 

投資をするなら
「顔が見える人たち」にしたい。

一緒にみんなと夢を叶えてみたいのです。

 

 

やるときめたら、やるのです。
やらなきゃ、何も知ることはできないから。

 

 

痛みも、喜びも、何も知らないまま
社会の役にろくに立てないまま

「ただの母親で終わってたまるもんか」

 

…そう、歯を食いしばって
幼児を抱えて働いていた私の覚悟が
報われる時まで、この「悔しさ」を守り続けます。

 

 

私を産んでくれた両親に。
私を母親に選んでくれた娘に。
私を信じてくれた沢山の先輩たちのために。

私は、必ず夢を叶えたい。

 

夢は叶えるために、あるのだから。

 

 

 

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