人として。

 

人は時に嘘をつくし
人は時に騙したり、責めたりする。

 

当たり前の正義や
社会の一般論を持ち出せば
“自分の意見”じゃなくなり
なんだか強くなれる気がするから。

 

そうやって人は誰かの意見を使うことで
自分を強く見せようとする、
とても弱い生き物だ。

 

 

 

だけど時に人は間違うし
だけど時に人は後悔をするものだと思う。

 

全員が嘘をつかず、失敗もせず
何にも後悔をせずに
生きている事なんてなくて

みんなそれぞれの経験を
それぞれの形や時間や方法で
向き合っていて…

 

例えば、自分の尊敬する人が
自分の思った通りの人じゃなかったり

自分の愛した人が
自分の思うように愛してくれなかったり

 

自分の期待に応えてくれないと
人は途端に、好きを嫌いに置き換えて
相手を責めたり傷つけたりする。

 

 

それは「嫌い」なわけじゃなくて
ただ相手のことを「知らない」から
「怖い」だけなのに
人は都合良く相手を責めることで
楽になろうとするよ。

 

 

 

まるで世の名の枠に当てはめて
はみ出た部分を指差して悪口を言って

自分自身にも
身に覚えのある「失敗」でさえも
指を刺して、責めたりするんだよ。

 

 

 

 

それでも人は 

 

だけど一度でも
責められる立場になれば人は気づける。

 

誰かに期待なんてするから、責めたくなる。
何かに執着なんてするから、腹が立つ。

 

恋愛も友情も
相手ありきの「幸せ」に
日々翻弄されるよりも…

自分の夢や希望や未来に期待して
頑張る自分に「幸せ」を感じることができれば

 

 

他人を期待して、執着して
傷つくことも無くなっていくし

自分の失敗も
誰かの失敗も許せるようになっていく。

 

 

 

「人を信じ過ぎるな」なんて…
そんな事を言うと

お前は寂しい人間だな、と

 

人はまた
世の中の当たり前の幸福論をフィルターに
人を測ったり分類しようとするけれど…

 

 

 

それはあなたの知らない方法
幸せを感じようとする人を認められない
そんな狭い心があるからで

 

世の中には
いろんな人が生きているし
世の中には
いろんな方法で幸せになれる人がいる。

 

 

 

 

 

あなたを信じます」という言葉は

あなたのことを信じてるから、
という期待を相手に押しつけて
相手が失敗したり
上手くいかない時に責める理由付け。

 

 

真面目な人ほど
その言葉の通りの人間になろうとして
もっと頑張らなくちゃ、と肩に力が入り
苦しくなったりするよ。

 

 

例えば、愛する人に声を掛けるなら
あなたを信じてるよ」よりも
あなたは頑張ってるよ」の方が
人は救われるし、伝えた側も必ず報われるはず。

 

 

他人の未来を勝手に期待して
信じてくれるなよ。
どうせなら
過去と今を認めて背中を押してくれよ。

 

 

そう言う言葉の使い方ひとつで
自分の心も誰かの心も救える、そんなもの。

 

他の誰かに期待をしないために

 

 

相手に期待をする事は
相手を苦しめることがある。

相手に執着をする事は
自分を苦しめることがある。

 

 

 

 

それなら常に川の水の流れのように
同じ者で居続けることを望まれず

形を変えても、温度を変えても、
減ったり増えたりしても
それがあなただから」と言ってもらえる人と
一緒に居たいと思うのは…

 

きっと「自分らしく生きられる」ことが
その人がたった独りの人生でも
幸せ」を感じる唯一の方法だから。

 

 

 

 

 

それを許さない
社会なんて馬鹿馬鹿しいよね。

 

何が正しくて、何が間違ってるかなんて
その人の人生を生きてみないと
分からないのにね。

 

 

 

そこに染まっていく人生よりも —

 

自分らしく生きて
自分の機嫌は自分でとって
自分に期待をして
自分を信頼して
自分を愛して認めて

 

自分の心にできた”余裕”で
失敗をしてしまった誰かを

許せる人になりたいと思うよ。

 

 

誰だって一度は間違うし
誰だって一度は人を傷つける 。

 

私は、わたし」と言う言葉を
不安になる度に拳に込めて
胸元をとん、と軽く叩いて前を向く。

 

 

その繰り返しが
この社会はきっともっと優しくする。

 

 

 

坂田まこと

♪ song by. SUPERBEAVER
「人として」