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山と森に生きる覚悟はあるか?
昨日から大分県中津市に訪れ
自然に触れる中で
ふと、そんな言葉を抱きました。
「山と森に生きる覚悟はあるか?」
その土地に住まう女性たちは
一体何を想い移り住んだんだろう。
「六月八日」と言うアロマブランドと出逢い
その物語の向こう側に見える
新しい物語を辿ります。
〈6月20日ごろより販売・卸売開始〉
「六月八日」の森に生きる女性たち。
六月八日を影で支える
まゆさんの話がとても印象的で。
「製品」というのは
生み出した人の面影を残す、と
いうけれど、まさにそれで。
このブランドは
久恒家の人々が
山と森と生きる覚悟から生まれた
新しいエシカルブランドでした。
林業に生きる久恒家に生まれた彼女は
「山と森と生きること」を
とても大切に考えていました。
親が子のために残した森が
子にとっての負の遺産になっていることが
悲しい、と語っていました。
かつては
大切な我が子のために残して来た山々が
今の時代は子にとっても負担となり
管理できなくなっていく…
彼女達の両親も、また
先祖から代々遺されてきた山々を
手放して来たと言います。
そこには溢れるほどの資源があり
化粧品の香料となる
クロモジやスギやヒノキがあります。
〈もはや、この時代。林業だけでは生きていけない。〉
山々を案内しながら
お父さんが寂しそうに語る姿は
何も知らずに山の恵みを貰ってきた私たちの
心を強く打ち付けます。
残すことは、育てることより
大変なことなのかもしれません。
私たちは当たり前のように
森の資源を使うけれど
それを管理する人達の実情を
本当は何も知らないのかもしれません。
お父さんも彼女もまた
この林業を残し、生かしていくには
この森に入る人達が
より柔軟性を持って
生きていく必要がある、と語ります。
ただ木を切り倒し
木材として売ることだけではなく
そこで香料を採ってみたり
レストランを開いてみたり
イベントをしてみたり
「山」も「森」も
生かし方はもっと自由で
新しくなっていく必要があるからです。
どんどん時代は、変わっていく。
昔は必要だった方法も
今の時代は
新しくなることで生きていくこともあります。
間伐が放棄されない地域のヒノキやスギは
こうしてどんどん痩せていくそうです。
痩せてしまった木は、もう価値が付きません。
人々によって価値を決められていく
そんな不条理と
それでもやはり残っていくには
人々と生きて行かなくてはいけない。
そんな矛盾が、悩ましい。
密集した林地には
太陽の光が届かず
痩せ細った木は木材として価値も無く
足元には一切の植物すら、育たないのです。
暗く怖い森は
人が手入れをしなくなればなる程
増えていきます。
適度に手入れされたヒノキやスギの間には
ケクロモジの木が沢山育っていました。
その山の恵みを程よくいただき
消して絶やしてしまうことなく
上手く生き残していく…
例えばヒノキ一本
17000円の木材になるとして
精油などにすると
売価は50万超える時もあるそうです。
考え方を変えれば
高齢化して林業が衰退し
手入れできなくなった地域も
新しい生かし方が出来ると彼女らは言います。
黒文字にはきっと価値がある、と
気づいたお父さんたちは
7-8年前からヒノキとスギの間に
黒文字を植え始めたとのこと。
そうやって少しづつ
山の恵みを育てては生かし
使っては取り戻していく作業を
持続的に残していくには
一体、どうしたらいいんだろう?
女性の仕事が地方に必要な理由
そんな林業の一族に生まれた彼女は
「一家族が生きていくには
一山有れば、それで十分」と
語ってくれました。
山一つあれば
一家族生きるための資源は
溢れています。
私も宮崎県に土地買った時
そこに根付く土地の資源や家に魅力を感じ
残して生かした生きたいと感じたことを
それだけは
今も鮮明に覚えています。
私は縁もゆかりもない土地に
魅力を感じ
そこの住む人たちの暖かさや
自然の豊かさに魅了されたわけですが
彼女も、また
先祖代々守ってきた土地に舞い戻り
当たり前に残されたものに
新しい可能性や魅力を感じ
残された家や山を守るために生き直したのでしょう。
案内された山は
すでに久恒家が手離した山だ、と
少しだけ寂しそうに語る中で
それでも人々に放棄され
痩せ細ったスギやヒノキたち。
足元には真っ暗な樹海が広がり
人をすでに寄せ付けないような
そんな閉ざされた森が広がっていました。
「でもかつては
この山の恵みを頂きながら
林業で生計をなしていたけれど・・・」
地元に舞い戻り
事業を整理しよう思っていたお父さんも
この山々を見たときに
「資源の宝庫なのではないか」と
生き直すことを決意したそうで
どうにか林業だけではない生かし方を
幾度となく探し続けたと言います。
ある時、一人のアロマセラピスト
との出会いから
「森にもいい精油があるんですよ」と
気付かされた家族は
この事業にやっと辿り着いたと言います。
決して大型の機械を構えるわけではなく
自宅のキッチンで自作の蒸留器を
何年も駆使して事業を拡大してきました。
「高齢者でも、女性でも
できるくらいの仕事がいいんですよ」と
そこの住まう人々の
「等身大の事業」であることの価値が
これからの人生を変えていきます。
ここに特殊な技術や技能が必要となると
もう女性や高齢者では
仕事に携わることができないからです。
「山や家族を守りたい」
という思いの強さが
この場所から伝わってくるほどでした。
この場所から生まれたのは
「六月八日」というアロマブランドは
まるで、この家族の物語そのものです。
大分県では
大量のカボスが
自然栽培のまま残されているそうです。
4年も前に蒸留された
カボスの蒸留水の香りを
私も初めて嗅ぎましたが
まるでとある清涼飲料水のような
爽やかな柑橘の香りに驚きました。
これらは未だ使用されず
残されていると言います。
この香りは価値がある、そう感じました。
「山森地の香水」とは
新たに生まれたアロマブランドは
すでに林業よりも豊かになり
彼女ら家族の新たな家業になりつつある…と
都心から地元に住み直した
彼女は語っていました。
「もっと柔軟な発想が必要です。
昔ながらの方法だけでは
もう山々と生きていけない。
若い人たちが山や森に行き
新たな資源や可能性を見出し
それを行動に起こし続けなければ
家族が私たちのために残してくれた山が
負の遺産になってしまう。
それだけは、避けたかったんです。」と。
私自身
この仕事につき
こうして国産原料を探し求め
そのトレーサビリティを辿っていく中で
驚くほどに
その土地を守ろうと奮闘する家族や
新たな形で染まろうと寄り添う自然の果敢さを
幾度となく目の当たりにしてきました。
この恵みを
本業を圧迫しない程度に
そう、捨ててしまっているものや
価値を見出せていないものから
少しづつ分けていただき
マイクロロットで生産したい
都心の女性たちに使っていただく。
8月21日から
宮崎の処方会に参加する
「最初の20人」には
こういった物語のある原料を活用した
都心と地方が繋がっていくような
意味ある製品作りをしてほしいと思っていて。
ただ、原料を混ぜ合わせて作る
化粧品なんて
もう残っていかないかもしれません。
私もまたこう言う出逢いから
国産化粧品の魅力を再認識し
そこで生まれた「化粧品原料」を
きちんと必要な人たちに
化粧品としてリブランディングしていく。
こうした出逢いから
余った素材や
価値を見出せていない素材を
あるだけ分けていただき
きちんとこの物語のエッセンスを
引き継いでくれる女性たちに伝え
それらを「素材のまま」
スキンケアに活用することは
勿論のこと
「商材として」エステに使用してくれる
全国のセラピストにも
技術と合わせて残していきたい。
そして「化粧品原料として」
女性に長く愛される
社会性の豊かな製品に生まれ変わったとき
もっと確かな形で
この六月八日の森に生きる家族と同じように
素晴らしい感性が
都心でも地方でも
育っていくのかもしれません。
価値ある化粧品よりも
意味ある化粧品を生み出していかねば。
私の原料巡りの旅は
まだまだ続いていきます。
今日はこれから拠点の宮崎県まで
4時間半かけて、電車移動です。
宮崎では3日間
さまざまな出会いがまた
続きそうです。
「出逢い」は
いつも新しい発想と閃きを与えてくれます。
行動を起こすだけで
環境は着実に、確かに変わっていく。
それは自然と積み重なり
10年という月日を掛けて
私の人生そのものを変えてくれました。
坂田まこと
私の半生が自叙伝になりました。
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