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頑張るしかなかった。

 

昨日のこと。

InstagramとFacebookに
自分が患った症状を記載したところ

友人や家族から
心配と応援のメッセージを
たくさん頂きました。

 

    

 

「なんでこんなことになるまで頑張ったの?」
聞かれることが多かったんですが

 

…そうですね。

自分を大切にしてないわけでも
周りを優先したわけでもなく

 

ただ、単純に
「頑張るしかなかった」からです。

 

素直に、書きたいと思います。

 

多くの経営者が孤立した。

 

この1年間。

 

自分の背丈の何倍も高い目標を掲げ
背伸びをして挑んだ日々。

 

コロナウイルスに世界が萎縮して
空間が確かに歪んだ1年間。

 

きっと多くの経営者が

自分の健康や社会の規則なんかよりも

「会社を守らなくては」
「お客様を守らなくては」
と、夜な夜な模索して

そう、誰もが〈頑張りすぎた〉わけです。

 

 

世の中的にも
何が正義かなんて定まってもいないのに
コロナ対策と呼ばれる
〈正義〉が立ちはだかった時

ルールを少しだけ守れなかった人達は
誹謗中傷という名の
匿名の刃を向けられるようになったこと。

 

 

最近、私の周りでも
そういった嫌がらせや連絡に
戸惑いながらも
懸命に仕事をする仲間がいるけれど

「出口が見つからない」鋭い痛み。

 

私の場合は次第に
連絡が酷くなり
大切な人との関係を壊すような
怪文書が流されたこともあり

もはや
〈誰が正義なのか〉を
名も無き人達が傷つけあった時期もありました。

 

 

それはオフィシャル以上に
プライベートにも及びました。

少しで半径3メートルの社会を変えようと
必死に行動した
そう、頑張っただけなのに…

 

 

 

その側面しか評価されず

結果ばかりを査定され

私たちの想いや努力は
無視されるようなこともありました。

 

 

 

私たちは
ただ、何かのために
頑張るしかなかったんです。

 

私たちの努力は
最終的に何のためになったのかなんて
正直、今では分かりません。

 

でも、この1年間は
例えどれだけ冷たいことを言われても

このお店を想って
頼ってくれる全てのお客様のために。

このお店を知って
人生の中の一年を投資してくれた
生徒さんのために。

こんな私を
信じてくれた仲間たちのために。

 

 

頑張るしかなかったんです。

 

でもね
その〈頑張り方を間違えた〉ことは
自分の責任だと理解していて

頼ってくれる
お客さんや生徒さんからのメッセージに
何度、心を救われたか
数え切れないくらい。

 

 

みんなが
責任を感じたりする必要は
全くないことで

その分幸せなことや
普通のお母さんが経験できないような
新しい選択肢を

私は沢山皆さんから
貰っていますから十分なのです。

 

 

頂いた信頼を
どんな対価でお返しするか
本気で考えて、こうなっただけです。

 

誰の責任でも無いことに気づくまでに
私も少しだけ勇気が必要でした。

 

 

 

動かない左目のまぶた。

 

 

悲しくもないのに、流れていく涙。

ただの「涙の無駄遣い」です。

 

 

本当に悲しい時に
取っておきたいくらい。

 

まさか自分が顔面麻痺を経験するほど
頑張りすぎるなんて
思ってもいませんでした。

 

 

頑張ることは
お母さんならば、責任ある立場なら
当然必要なことだったから。

 

 

私は見た目も若いし、幼いし
性格も自由奔放だから
気をつけていないと
すぐに人に誤解をされてしまう
コンプレックスがあります。

 

大切な人たちを失った時も
何度も後悔して
自分を責めてしまうので…

こう思うと
私だって、普通の人なんです。

 

 

どれだけ事業が大きくなっても
私たちは普通の人間で
寂しい、悲しい、辛いという感情があります。

 

「社長だから」と
頑張りすぎる人がたくさんいる世の中に
少しでも理解してくれる人が増えたなら
私たちは報われたはずなのに。

 

 

頑張りたくても
頑張れない人もいる。

 

 

世の中には
頑張りたくても
「頑張り方が分からない」人や

頑張っても
「評価されない」人が

見えていないだけで
本当はたくさんいると思います。

 

 

みんな平等で、みんな不平等。

誰もが同じように落ち込み
泣けるわけでもありません。

 

 

人によっては心で思っていても
共感できないことに
苦しむ人だっています。

 

 

それでも同じ社会に
生きていかなくちゃいけないので

多様性があることを
受け入れる「優しさ」
もっとお互いに持ち合わせる必要があるわけで。

 

 

それは子供かもしれないし
旦那さんかもしれません。

親や親戚、部下や上司かもしれません。

 

厳しい社会の中で
思いやりを持って生き合える世界は

きっと、とても、限られています。

 

 

みんな必死に生きていると

「他人の弱さ」に
気づいてあげられないのです。

 

 

このコロナの期間に
心と体を痛めたり
魂だけ自由になって器を投げ打った人は
一体どれだけいたんでしょうか。

 

本当に怖いのは
コロナウイルスなんかじゃありません。

 

思いやりを持てなくなった
余裕のない私たちの方が
よっぽど脅威になる時代です。

 

今必要なのは
コロナウイルスのワクチンよりも

本当は「思いやりの気持ち」や
人を許して受け入れるという
「人の優しさ」かもしれません。

 

 

 

それを、忘れないでください。

 

 

 

ある日突然
大切な人が死ぬことだってあります。

 

 

 

「ありがとう」や「ごめんね」は
その場で伝えなかったら

明日には
もう伝えられないかもしれません。

 

 

泣いても、嘆いても
もう会えなくなるかもしれません。

 

 

それは
自分が死ぬことより
怖いことだと思うのです。

 

 

 

こんな時代に

生まれて生きているからこそ

半径3メートルにいる人たちに
まずは「優しさ」を
分けてあげてほしいと思います。

 

理解できなくてもいい。

ただ、寄り添うだけでもいい。

 

今私たちに必要なのは
「優しさ」ただそれだけなのです。

 

 

 

そんな私も
本当は知らぬ間に
誰かを
傷つけてきたのかもしれません。

 

生きることに必死で
半径3メートルより
外の人たちのことを
傷つけたのかもしれません。

 

だから、その報復を
受けただけなのかもしれません。

 

もし

傷つけた人に
「ごめんなさい」と言えるなら

もちろん言いたいし
許してもらえるなら、許してもらいたい。

 

 

そうやって

失敗しても、挫折しても、誤解されても
やっぱり傷つけ合うよりは
傷つけられた、までで終わらせたいと
私は思います。

 

 

真実を知ることは
今でも怖いけれど

何も知らないまま
大切な人を責めることだけは、避けたかった。

 

 

悔しいし、悲しい。

信じてあげたいと思えば思うほど
何が真実なのか分からなくなって
一人で泣くしかなかった
あの日の夜に戻って

「もう泣かなくていいよ」と
諭せたなら
どれだけ楽だっただろうか。

 

 

 

人は結局
「自分を責める」ことで
人から受けた傷を
容認してしまうのです。

 

何故、素直に傷つくことすら

声をあげて泣くことすら

大人になったらできなくなるんでしょうか。
不思議ですね、本当に。

 

 

 

真実は一つなんかじゃない。

 

真実は
その人の立場や視点や場面一つで
幾つも存在するわけで

例えば肩をぶつけた人と
ぶつけられた人が
それぞれ意見が擦れ違うように

人の数だけ
捉え方一つで〈真実〉は
如何様にもねじ曲がっていく。

 

 

人の噂はまさに原型を留めること無く
面白おかしく
どんどん膨れ上がっていく
風船のようだと、私は思うのです。

 

真実がどうか、よりも
大切なことは
そこにどんな〈事実〉があったかの方が
私はとても大切だと思うんですね。

 

 

例え、それが、宗教でも

真実はどうあれ
事実として救われた人がいるならば
それは「何かを信じていないと
孤独で生きられない人達」にとって
必要不可欠な信仰になる時もあるからです。

 

「自分の視点だけ」
物事を見るのは
とっても寂しいことなんだ、と

私はこの一年で
よく学んだわけです。

 

 

みんなで優しさを分け合って。

 

時に人々は
時間愛情
分け合える生き物だと信じています。

 

 

余裕がある人が、余裕がない人に。

知識がある人が、知識のない人に。

愛のある人が、愛のない人に。

 

 

そうやって
あるものを分け与える
ないものを分けてもらえる社会が
本当の幸せな社会であって

人と人とが正義という武器を振りかざし
無知な人達が
答えもない迷路の中で
傷つけ合うことほど

無駄なことはなかったはずです。

 

 

 

私も、あなたも

最初はみんな傷ついたはず。

 

 

でも傷つける側に
立つ必要なんて
本当は無かったんじゃないでしょうか。

 

答えは見つからないけど
もう答えなんて
必要ないとも言えますよね。

 

 

「私は、もう、自由になりたい。」

 

過去の出来事も
過去の思い出も
良いことも、悪いことも

人生100年の中で起きた
〈たった1年間〉での出来事に過ぎません。

 

 

犯した過ちがあったとしても
もう自分を責める必要も
傷つけられた理由も
知る必要はないかもしれません。

 

 

明日から
新しい〈わたし〉になりたい。

 

 

そのために
私にはすべきことがあります。

ただ「優しさ」を分け合うだけで
社会はほんの少しだけ
幸せになることを知ったから。

 

坂田まこと

 

 

 

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