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私の可能性を信じて。
「美容の仕事」は
綺麗な人ができる
特別な仕事だと思っていました。
私のように肌が荒れて
綺麗の手本にもならない太った身体では
誰の役にも立つことはできない、と。
だけど今思えば、私も
セラピストと出会った時に
自分の可能性を知った様に
“手に届かないほどの美しさ”よりも
“手に届きそうな美しさ”を持った人の方が
相談できたり、頼りにできたり
自分の弱い部分を
見せることが出来たりする。
世の中には色んな仕事があるけれど
やっぱり「好き」や「得意」を仕事にした人は
何年経っても
とても楽しそうに見える…
私はそこから
美しくなるために努力する人、として
子供を育てながら懸命に働く人、として
自分自身を
ブランディングしていくようになりました。
自宅サロンを始めたのは
24歳の時。
勤めていたエステサロンの
あまりにも無理な勤務体制に心身が疲れ
やっと辿り着いた
「私だけの居場所」が、ここ
“オーガニックマザーライフ”という名の
子供部屋の一室から始まった
小さなエステサロンでした。
その部屋で娘を背負いながら
毎日、毎日
お客様の素肌と心に向き合う中で
セラピストという仕事への誇りを
心に携えるようになります。
その小さな部屋の中でだけ
私は母親ではない
「一人の女性」に戻ることができました。
純粋に好きなものを伝え
悩める人を手助けする仕事に
自分の心が何よりも磨かれたのです。
でも最初は周りの家族、主人含め
前の職場との人たちは
その考えや働き方を
理解してはくれませんでした。
女性が活躍しようとする社会は
やっぱり今でも、異質なもので…
今の時代は子育てだけ
仕事だけという事はなく
「どちらも両立したい」という
フルキャリア志向の人が増えている、と言うのに
時代はちっとも
追いついていませんでした。
この美容業界は特に異質で
化粧品を使わない男性達が経営人に居る社会で
女性経営者というのは
圧倒的に数が少ない業界です。
オーガニック化粧品の世界も、また。
女性が使い、女性が伝え
女性が中心にある現実があると言うのに
まだまだ男性主体で
女性の活躍の場は限られています。
その不可思議な社会が
私はどうしても好きになれませんでした。
一つのブログが起こした奇跡。
そんな環境の中、
私は自宅の一室で始めたサロンで
このブログを通じて
沢山のお客様と繋がります。
看板もない。
駅から15分も歩く。
マンションの一室にある
名もない小さなオーガニックサロン。
最初は誰も来ないのではないか、と
不安に苛まれては夜も眠れず
毎日いろんな本を読んでいた日もありました。
だけど17歳から続けていた「ブログ」を通じて
様々な人が “会いたい” と、
オーガニックに興味を持つ以前に
私と言う生き方に興味を持つ人達が
次第に名もない自宅サロンに
足を運ぶようになります。
その頃、今も含め
子育てと仕事の合間の限られた時間…
それは例えば “電車の移動時間 “など。
すべて記事を書く時間に充てました。
それは等身大の私を
まずは皆様に「知って頂く」ため。
広告費を掛ける余裕などありません。
自分自身で全ての行いを
伝えていかなくてはいけない。
となると、素顔を出すことも含め
私と言う人間を切り売りすることも必要不可欠。
どれだけ
素晴らしいことをしていても
「知って頂かなくては
何も無かったことと同じ」だ、と
私はいつも、胸に留めていましたから。
集客や売上なんて、関係のない
純粋に「信じてほしい」という想いで
日々の考えや行動、夢や希望を綴りました。
きっと同じような環境下で
家庭と仕事の狭間で自分の夢を燻る人生に
苦悩している人は沢山いる…
多くの人に理解されなくとも。
沢山の人の役に立てなくとも。
私は、私の人生を生きて
私は、私の出来ることをすればいい…
ピアノが弾けぬ人が
ピアノの先生をすることは出来ないように
出来ることを、仕事にしたらいい。
背伸びはいつか足を痛めるし
嘘はいつか自分の心を病めてしまう。
「ありのままの私」の言葉を綴ることで
信頼された先に、初めて、
私の会社は必要とされるのではないか。
そんな自分を憎まず、信じてあげる。
資金の貯金より大切なことは
「信頼の貯蓄」の方でした。
起業仕立ての頃は
エステの合間に1日2.3回もカフェに行き
ずっと記事を書き続けていました。
起業に「近道」なんてないですね。
「地道」なことを続けた結果
今の私があります。
下手なコンサルを付けて
無駄な知識を得るよりも
たくさん失敗し
たくさん恥をかいて
笑われて馬鹿にされても
そんな自分を憎まず信じ続けることで
必ず救ってくれる仲間や
信じてくれるお客様ができます。
読者の方が飽きぬように
美容のこと、食事のこと、子育てのこと
仕事のこと、化粧品のこと、夢のこと…
色んな人が色んな視点で見るブログだからこそ
私はいつだってニュートラルなまま、
自分の意見を誰を否定することなく
淡々と述べていく。
その中で「こう言う考えに救われた」と
その記事に共感、共通、共有したお客様が
長い期間、このサロンやこのショップに
足を運んでいたり
化粧品を使い続けてくれています。
私が作られた虚構ではなく
「誠」である限りそれは続きます。
ハリボテの豊かさを見せびらかすことなく
作り込んだ美しさを表現することもなく
ただそれは「等身大のまま」に。
こうして当時のサロンには
ブログを通じて月60-100件近くのお客様が
通うようにまで成長し、
私は自宅サロンを開業して
半年という短い期間で、最初の法人
「一般社団法人
日本オーガニックビューティセラピスト協会」
を立ち上げることとなりました。
個人事業主から
法人にした理由は簡単 —
「会社という小さな社会を作り
オーガニックというマイノリティなものを
きちんと広めていきたい」その想いと…
単純に、社会の一員として税金を納め
人を雇い、場所を構え
制度に準ずることにより
「主婦が気ままに始めた
趣味の延長にある仕事ではありません」と
そう、宣言したかったのだと思います。
たかが個人サロン、と
信じて頂けないことも幾度となくありました。
若さ故に
仕事を任せてもらえないことは、何度でも。
仕方のないレッテルに苦しむ中で
私は自分の「身の丈」を知るのです。
信頼に欠けるから広がらない。
まずは私自身を
信頼してもらうことから始めなくては。
会社というのは
「売上」があっても
「信頼」がなくては続かない。
売上を上げる事よりも
自分らしく生き続けるためにも
“永く続く” ことを最も大切にしていました。
つづく。
坂田まこと
私の半生が自叙伝になりました。
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