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自分の可能性だけを信じて。
「オーガニック化粧品の開発をする」と
心に覚悟を決めて学び始めたのは
たった3年前のことでした —
29歳だった当時の私は、
提携していた化粧品工場を断られました。
理由は「同業者からの嫌がらせ」—
突然、幾つものブランドを生産出来なくなり
途方に暮れていたのです。
こんな事あるんだなぁ、と客観的に感じていた私。
被害者意識、と言うよりも…
こういうことが出来る人の人生を想像しては
「会ったこともない私に
こういうことをしないと生きていけなくなった
その理由はなんだろう?」と。
その時経験した”得体の知れない悔しさ”は
確実に、私の思考を突き動かしたんですよ。
このまま終わってたまるか、と—
知人の化粧品工場の社長さんを訪ね
「資金は用意する。
私は化粧品工場を作りたい」と
お願いした私は、無謀だったかもしれません。
最初は信じていなかった関係者も
次第に私の本気に突き動かされて
沢山のことを教えてくれるようになりました。
2020年7月、
知り合いの有機農家を訪ねるために
コロナの期間で初の渡航解除がされたあの日、
宮崎県に初めて降り立ちます。
そこで出会った1000坪の土地と空き家。
かつては人が住んでいたが
震災を機に引っ越してしまった美しい建屋。
住宅地のど真ん中とは思えないほどに広い土地。
これは何か有効活用できるのでは、と
私の心の中の何かが確実に想像を膨らませていき
他の物件を見る事なく、即決して購入します。
当時の販売情報にあった実際の画像
当時、この土地と家は
2000万で売られていました。
シングルマザーだった私にとって
それは決して安い金額ではありません。
それでも夢の自社工場を建設するにあたり
これは安い、とすら思えたのです。
始まった桃源郷作り
それくらいに、
この土地と家は”魅力的”でした。
宮崎県産の杉だけで出来た木造平屋は
修繕が必要ないほど美しく、
あらゆるデザイン賞を受賞していた名家でした。
私はその名家を再生させるために
化粧品工場を裏庭に
増築していくことになりました。
当時、手伝ってくれていた関係者からは
「学校の廃校を使った方が年間コストも安く済む。
この土地と家では残り3000万ほどの資金で
改修や増築が必要になるけど
勝算はあるのか?」と。
私は、当時
こう言ったんですよね…
「初めて挑戦することに勝算なんてない。
でも、自分のモノにならない土地と建物に
投資をするくらいなら
私は多額の税金を払ってでもこの土地を買って
自分の理想の化粧品工場を作りたいです」って。
たくさんの人が
私の無謀な挑戦に力を貸してくれました。
感謝しても、しきれないくらい。
あの時もそうだったけれど、
どんな夢も行動さえ辞めなければ
違った形だったとしても
必ず近づくことができる。
あの日あの時、私は確かに
24歳から使わずに貯めてきた全財産を使って
自分の足と手を全力で動かして、
この大き過ぎる「夢」を買ったのです。
それだけで達成感がありました。
私にはこんな事が出来るのか、と。
手に入れた瞬間も今も
実感なんて湧きません…
でも”見える景色”は確実に変わったし
出来ないことはない、と
この業界で生き抜くために怖かったものは
無くなったと思います。
あの日の「悔しさ」が
最大の「原動力」に変わっていく瞬間。
苦労は買ってでもしなさい、と
昔お婆ちゃんが教えてくれた言葉が
今更身に染みて意味を知ることになります。
その足を止めることはありませんでした。
失敗や勝算なんて計れるもんじゃない。
確かめたかったのは
「自分の可能性」それだけでした。
自信の「源」。
そこから1年間。
知り合いの化粧品開発者に依頼をし
植物由来の化粧品開発のノウハウを
指導してもらいました。
私実は、手作り化粧品ですら
殆どした事がなかったんですよ。
つい3年前までは。
だからこそ、そのブランクを取り戻すために
誰よりも努力をしたと思います。
何も予備知識が無かったからこそ、
どんどん知識を吸収して
私の開発能力は急成長していきました…
化粧品の処方組みに留まらず、
興味は植物原料(素材)の開発にまで広がり
地方を飛び回って農産物を掻き集めては
こんな風に瓶の中に閉じ込めて
植物の息吹を聞きました。
何度も、何度も、何度でも…
「よくそこまでやるね」と言われることも
当時は多かったし
「未経験で入る業界じゃない」なんて
理系大学を出た多くの先輩たちに笑われたけど、
私の中には、確かな自信がありました。
子供を産んでから素肌に悩み
毎日、毎日、鏡を見てはため息をつきました。
どうやったら良くなるんだろう、と
あらゆる植物油を混ぜては皮膚に塗り
やっとアトピーを卒業し、
日焼け止めや
ファンデーションも卒業できたあの日…
こんなにも、素肌に悩む女性の気持ちが分かる人は
きっと他には居ないと思っていたし
植物美容(治療に近い)を
体感している開発者はいない。
ましてや、普段から
化粧品を使うこともない男性に言われたときは
「絶対に私の方が良いものを作れる」とさえ
思っていた時もあったくらいに。
それに、私はもう子供も産んだ。
女性としてやるべき経験も積んだし
あとはキャリアと経験を
積むことに集中も出来る —
何よりも私には施術と言う
【技術】がありました。
“売り先”をすでに持っていたのです。
その売り先は、かつて
自宅サロン時代から積み上げてきた
多くのお客様から成り立っていて、
私の背中を強く押してくれたものお客様でした。
そこから宮崎に月2回通い、
自分で化粧品製造業許可まで取りました。
それにエコサート認証も…
何度も図面打ち合わせをして、やっとここまで —
沢山の辛いことを乗り越えたし
何度も泣いたし何度も諦めかけたけど…
その気持ちを繋ぎ止めていたのは
オーガニック化粧品への愛情の強さ、と
「あの日の悔しさ」それだけでした。
成功なんてしないかもしれない…
それでも私は満足していました。
ここまで挑戦した自分に
誇りを感じていたからです。
そして、これからも。
2024年を迎えた私たちの化粧品工場
ORGANIC MOTHER HOUSE
植物調合美容研究所は、4年目を迎えました。
自社製品の8割以上を自社生産に移行し
9割の開発処方を
私が作るようになりました。
昨年9月には東京都自由が丘の土地に
日本では恐らく
初のオーガニック化粧品専門工場を作り
12月から生産を稼働させています。
“本物のコスメキッチン”を手に入れたのです。
それでも「お母さん」という仕事も現役です。
「女性」としての目標も諦めていません。
まだ子供も産みますし、家族も作ります。
ここまでやっても尚
私は”仕事”だけには生きません。
それが
私のポリシーであり目標で
“仕事と家庭の完全両立”は
男性には出来ない
女性の特技であることを世に知ってもらいたい —
そんな想いで続けています。
私たちの可能性は
母親になっても尚、無限大である、と。
坂田まこと
私の半生が自叙伝になりました。
2022.6.20新刊「傷つくほどに美しくなれる」
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