自分を信じるだけで。
31歳になりました。
あっという間のような・・・
すごく長かったような。
19歳で母親になった私の青春は
やっと今から始まるんだと思うと
当時、生まれたばかりの娘を抱きながら
部屋で一人、SNS上に映る
同世代の眩しいくらいの「青春」に
恋い焦がれていたことが懐かしく思います。
「寂しかった」
私だって、もっと何かできるはずなのに・・・・
悔しい気持ちは
私の大きな原動力に変わっていきました。
高校にまともに通えず
そのまま親になって嫁いだ私は
社会でも本当に役に立たなくて。
「あたりまえ」のことが、分からなかった。
それは友達の作り方から
礼儀の一つまで。
周りはそんな私を見て
がっかりしたかもしれないけど
ずっと、ずっと私なりの感謝の気持ちを
これまでも貫いてきたわけで。
ずっと変わらなくていい。
そんな私も「わたし」のままで
愛される環境へ行くからそれでいい。
ずっと「変わらなくちゃ」って
思っていたけれど
良いところを伸ばす人生の方が
うんと効率もいいし、楽しいことを知って
否定されたり、指摘されることも
時には大切だけど
それは半径三メートルの社会で
わたしをよく知っている人から
言われる言葉にだけに
よく耳を傾けていけばいいのかもしれないね。
自分を信じるだけでいい。
仕事も、子育ても、青春も。
幾つからでも向き合いさえすれば
楽しめることを信じたいし
20代で経験することができなかった「青春」を
これから存分に楽しむだけで
得られる経験や出会いは
20代に比べたら計り知れない。
例え、私が「母親」でも
小さな娘がいたとしても
「青春」を駆け抜ける姿を見て
私を責めることなんてないと思うから。
娘でさえ
「仕事頑張ってるからいいんじゃない」なんて
そっけなくも、応援してくれていたり
心から大切な人からは
「ただ笑って生きていてくれるだけで
私は幸せです」と言ってもらえる。
自分自身が笑顔で幸せにいるだけで
誰かを幸せにできるなんて
私はこの年になるまで、知りませんでした。
そう言ってくれる家族や仲間を
心から大切にしたい。
「ありのまま」を応援してくれる人は
誰でも側にはちゃんと居るはずのに
人は多くを望みすぎて
ネガティブな意見ばかりに目が行きがちなんです。
純粋なエールを
受け取れるようになるだけで
人は多くの自信と勇気を手に入れて
挑戦するための一歩を
自力で踏み出せるようになるってこと。
自分を信じるだけで。
自分を大切にするだけで。
幸せにできたり
元気を与えられたり
手本になれたり
勇気を届けることができるなら
私は、私のままで、生きさせていただきます。
最初は、たった独りでもいいのです。
誰も歩いたことがない道が
私は歩いて行くんですから。
遅れた青春を取り戻すように。
31歳になる宮崎での旅。
また多くの出会いがありました。
この歳になって
誕生日会なんて
無縁だと思っていたんですよ。
でも「誕生日当日」と言うこともあって
宮崎で出会った友人や仲間や
お世話になっているお店の方々など
多くの人が私の誕生日に集まってくれて
美味しいヴィーガン料理や花やギフトを用意して
19日の夜に集まってくれました。
ヴィーガンケーキまで用意してくれて・・・
本当に嬉しかったです。
大人になると
自分の誕生日を祝わなくなりますよね。
仕事や家族を優先して
自分の生まれた日を見つめ直すことなんて
ないと思うんですけど
私は今年から
「まずは自分が幸せになること」に。
それが周りで私を応援してくれたり
幸せを願う人たちへの最高の恩返しだと
知ったからです。
豊かな感性を持つと
良い物作りが出来るようになって
豊かな気持ちを持つと
家族や仲間優しく接することや
些細なすれ違いを
許すこともできるようになっていきます。
そうなんです。
全ては「私」次第なんです。
どんな人生でも、どんな環境でも
考え方と捉え方次第で
人生は変わっていくわけで。
私は自分の人生で
一体何処まで出来るのか
挑戦の日々を楽しむことを決めたのです。
宮崎もまだ、1年と少し。
この工場建設の企画も
一年半前までは、全くの白紙でした。
オフィシャルだけではなく
プレイベートにまで及んだ
同業他社からの過激な誹謗中傷は
私の化粧品を製造停止にまで追い込みました。
でもそのおかげで
遅れた青春と私の人生を賭けた
誰から見ても無茶な挑戦を
私はこの宮崎で始める勇気に
繋がったわけです。
そういった
「挫折」や「悔しさ」に基づいて
人は傷つくほどに
美しくなれることを教えてもらいました。
私は、恋焦がれていたんですよ。
自由に生きることに。
人の型に染まろうとするから
好きでもない人と歩調を合わせようとするから
苦しくなって、呼吸ができなかったんです。
高すぎる天井を見上げて
悔し泣きした日を思い出す度に
いろんなことがあったけど
こうして続けてきてよかった、と心から思えた夜。
ここまでよく頑張りました。
この苦労と努力は
周りには知ってもらえなくても
もう、いいのです。
周りに自分の気持ちを
全部わかってもらおうなんて
わがままを言う暇があったなら
自分で自分を、認めてあげたらいいのです。
「よく頑張ったね」は最高のギフトでしたから。
30歳の1年間で
本当に良い経験をさせていただきました。
どんな出来事にも
今は感謝しています。
同時に心から尊敬し
大切にしたい存在もできました。
女性としての「あたりまえの幸せ」は
もう手には求めなくなりました。
自分の足りないピースを
好きな人に埋めてもらおうなんて
甘い考えを捨てたのです。
自分の足りないところは
自分で補えばいい。
寂しい気持ちも相手の愛情を
きちんと受け取るようになったら
感じなくなっていきます。
自分の求める形を欲しがるから続かないんです。
どんな愛情表現でも
素直に受け取り続ければ
幸せになれることを学びました。
その過程を応援してくれることだけでも
私は「幸せ」を感じられたり
応援してもらえるだけで
勇気が貰えたりするようになりました。
自分の幸せは
相手の幸せを願うことから
与えられるもの。
その気持ちを30歳で知ったことも
良い経験だったと思います。
その人が変わることなく
ありのままで幸せになってくれるなら
私もそれを見守っていたい、と言う
「親愛」と言う言葉を学んだわけです。
「最近、雰囲気変わったよね。」
そう言われることが増えた、今日この頃。
背負うものや、不要なものを
全部捨てたんですよ。
無駄なプライドとか
忘れられない恋愛とか
仕事や他者評価への執着とか
下らない友情や感情まで —
これからの私に大切なものは
顔の見えない人達の意見よりも先に
「半径3メートル」の社会の中で
私の事を懸命に応援してくれたり
支えてくれている人達に
愛と希望を込めて恩返しをしていくこと。
困っている人達を救える人になること。
誰よりも私をまずは大切にすること —
「悔しい気持ち」は
私の大きな原動力だったけれど
「嬉しい気持ち」も
形にして還していけるように。
これからは自分をもっと大切にして
沢山の感謝を結果と行動で伝えていきたい。
宮崎で出来た友人や仲間達は
こんな見知らぬ私に対して
たくさんの愛情をくれました。
今は一心に受け止めて、頑張ります。
いつかちゃんと、恩返しがしたいから。
こんなに自由で
こんなに豊かな挑戦の日々は
他には無いってくらいに、私は満足してます。
まずは、10年前の私に感謝したい。
「子育てと仕事に追われながらも
夢を諦めないで
頑張ってくれてありがとう」
やっと過去の努力が報われました。
これからも応援宜しくお願いします。
坂田まこと
私の半生が自叙伝になりました。
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