昨日ね。
 
メンバーの1人が
「何も出来なくなった」という
無気力との葛藤をブログに書いていたんだけど
 
その気持ち
 
世代は違うけど
なんだか少し痛いほど共感したんだよね。
 
 
 
 
突然やってくる喪失感
 
きっと現状は違うんだろうけど
それぞれが体験したことがある
どうしようもない無気力。
 
 
 
そこからまた立ち上がるには
一体どうしたらいいんだろう?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
私もね。
 
あの子と2人
逃げるように武蔵小杉へ引っ越したとき
たくさんの試練が待ち受けていて
 
1度、あの「理由のわからない喪失感」を
味わったことがあるの。
 
 
 
 
 
何をしても
何をたべても
誰と話しても解決しない悩みが溢れて
 
「あ、自分はダメな母親なんだ」と
 
こんなにも辛いならもう辞めたい、と
弱音が心の中で溢れてしまって
 
ご飯も作れず、掃除もできず
毎日仕事と学童のお迎えだけで終わり
外食しかできなかった時期があった。
 
部屋もい、心もい。
 
 
 
 
体が疲れきって、思考が停止して
何もできなくなってしまった。
 
トリートメントのご予約も
みんなキャンセルして
ずっと近くのカフェで過ごす日々もあった。
 
 
このだるさは
一体何処から来るのか。
 
何がしたくてここにいるのかすら分からなくて
 
その悩みを
誰に言うこともできずにいた。
 
 
 
 
 
あの頃の食事や生活は
決していいもんじゃなかったよ。
 
娘にも申し訳ない気持ちでいっぱいだったけど
 
あえて「何もしない」ことが
私のパワーに次第に変わっていったんだ。
 
 
そして
ずっと強がって言えなかった悩みを
大切な人に意を決して伝えたら
 
あなたの力になりたい」と
 
一緒に住むことを提案してくれた。
 
 
 
 
 
「あ、1人で頑張る必要なんてないんだ」と
 
私はその時初めて
「何もできない自分」を認めて
人に甘えることを覚えたんだよね。
 
1人では生きていけない。
 
私は17歳で家を出て1人で生きてきたから
甘えることも、頼ることも、悪いことだと勘違いしていた。
 
心配かけたらいけないと、そう思っていた。
 
 
 
悪いことなんかじゃない。
人は、支え合って生きていく。
 
 
自分が「ダメな母親」であることを認めてあげようと思ったの。
 
洗濯物も、畳めなくてごめんね。
ご飯も、作れなくてごめんね。
泣いてばかりで、本当にごめんね・・・
 
そう娘に素直に謝ったら
うんと心が軽くなって
「そんなママでも大好きだよ」と言って手を握ってくれた。
 
 
大丈夫、娘にとっては
こんな親でもかけがえがない存在だと
自分だけでも心から信じて生きていこう、って。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
どれだけ頑張っても、寝る間を惜しんで勉強しても
誰の上にも下にも私たちは存在しない。
 
自分の中で、自分を認めてあげないと
存在意義を教えてあげないと
 
ただそこにいるだけの自分」を
 
認めてあげることから
本当は始めなくちゃいけなかったんだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
だから私にとって家族は
自分の命と同じくらい大切な関係になって
 
お父さんもお母さんも彼も娘も
この画面に綴るこの想いを読んで
いつもそっと見守ってくれていることで
 
私はホッと安堵する。
 
 
2ヶ月毎に名古屋の両親と旅行に行くことが
17歳で家を出て一人暮らしをした
私にとっては
 
頑張るパワーに変わっていった。
 
 
 
 
 
 
これが
無気力だった私に
 
新しい活力をくれたきっかけで。
 
 
結局、最後は
「人」に変えられ「人」に支えられた。
 
 
 
セラピストって仕事をしていて良かったよ。
 
パソコンと24時間にらめっこする仕事だったら
もっと病んでいたかも知れないね。
 
お客様が、仲間が、家族が
こんな私を認めてくれた時
 
「今の私で生きていこう」そう思えたんだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
若いことに何度もコンプレックスを抱いた日々。
 
仕事でも、母親としても
若いことで良いことなんて感じたことがなかったけど
 
今思えば
 
若いからこそ
フルタイムで働きながら子育てができたし
母乳もよく出たし、丈夫な子が産めたのかもしれない。
 
今思えば
 
若いからこそ
夜も寝ないで働けたし
1日480分間のトリートメントも担当できたのかもしれない。
 
 
 
 
 
若さは、尊い。
 
お金はいつでも返ってくるけど
時間や若さはもう帰らない。
 
 
 
1日でも若い日に
私は「自分が生きた軌跡」として
何を残すか必死に考えるようになった。
 
 
今の仕事を、自分のためだけに終わらせたくない。
 
「人の為」と書いて偽りと読むけれど
私は自分のために頑張ったことは
いつか誰かのために「還元」できると、そう信じてる。
 
 
 
 
今できることを、全うしよう。
 
 
 
それがたとえ
周りには理解されないことでも
自分だけがそんな自分を認めてあげるためにね。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そんな私はね。
メンタルはきっと人よりも強い方だけど
それは力の抜き方を知っているからできること。
 
オフの日、家では
人の言うことが聞けないし、規則正しく生きられないよ。
ダメな自分を
心の底から肯定して生きてるの。
 
 
 
 
実はめちゃくちゃ打たれ弱くてね。
 
人の悪口にすごく敏感だし
周りの目が死ぬほど怖くて
人に評価されることでしか満足できない
自分だけの満足では認めてもらえない、と
 
くだらないプライドに左右されて生きてきた時代もあったよ。
 
 
 
 
自分の中で最高の自分
 
になれたなら本当はそれでいいのに
 
馬鹿みたいに大きな目標たてて
似合わない服を着て
会いたくもない人に会って、食べたくないランチを共にしても
 
それは自分がしたいこと、というよりも
「人にこう見られたい」という欲みたいなもの。
 
 
自分を磨いてもキラキラできないから
人の光に当てられて
キラキラしようとする行為。
 
 
 
結局、自分という生き物を
何ひとつ認めていないから
 
周りの飾りを見繕ってキラキラしようとする。
 
 
 
 
私はそんな滑稽な自分を
ある日自分のブログを遡ることで知ってね。
 
くだらないから、卒業したんです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
外ではしっかり者として頑張るけど
 
家に帰ると
だらだらした甘えん坊の自分や
くだらないことで悩むこと自分を包み隠さないで
全部見せるようにしたら
 
案外、そんな自分も愛してもらえたんだ。
 
 
余計な付き合いもやめて
本当に必要としてくれる人たちといるようにした。
 
くだらない妬みも、くだらない嫉妬も
全部捨ててきたし
 
誰から何を言われても
それは「人生の教え」としてまっすぐ受け入れながらも
心の信念を曲げないで生きていくようにした。
 
 
 
 
 
 
できないことは、できないと。
 
したくないことは、したくないと。
 
 
 
 
 
母親だから、女だから、経営者だから
こうでなくては!なんて本当は無いんだよ。
 
ちゃんと周りに
理解してもらうことで変わることもある。
 
私は素直に生きたいと思ったから。
 
もう嘘で塗りたくるのは
嫌だと思ったから。
 
 

だからこそ、ここ最近は
水曜に必ず鎌倉で
家事もお休みしてのんびり過ごすの。
 
どんなに大切な予定も断って
たったひとり過ごす大切な時間。
 
 
週末頑張る代わりに
平日は17時には帰って自然に戻る。
海を見に行く、山に登る、美味しいものを食べる。

 

 
 
 
 
 
ストレス溜まってる
そう言わないようになったら
ストレスは溜まりにくくなった
 
疲れてる
そう言わなくなったら
疲れにくくなった
 
あの人が嫌い
そう言わなくなったら
誰でも許せるようになった
 
 
 
 
私は若くして働きだしたから
それなりに色んな理不尽なこともあったけど
 
いつでも最後は
家族が支えてくれたように思う。
 
 
 
 
他人に期待しない
そうすることで
自分の力を信じることができた
 
人を許す
そうすることで人を恨むことなく許して
心がうんと楽になれた
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
起業したてだからって
ボロボロになるまで
1人頑張る「あたりまえ」を捨ててみたら
 
もっといい仕事ができるようになったよ。
 
 
 
 
 
 
 
私も一日一日、若さを失ってる。
 
うんと年を重ねた時
いつか「したいことができなくなるんだろうな」
と知ったら
 
「今やれることをやっておこう」
そんな勇気をもらった気がする。
 
 
若い人は
年を重ねた時に後悔しないように
頑張れる時に頑張るべき
 
年を重ねた時には
心と体に素直になって
今の自分の存在意義を認めてあげたらいいんだよね。
 
 
すごくいい教えだった。
 
私も初心に還った気がします。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
人は結局
「自分のため」だけには頑張れない。
 
「大切な人」のために
今の私を認めた上で、還元していこう。