今月も奈良へ。

2日間、自然療法の学校にて
ナチュロパスになるための学びを。

この月に一度の学びの旅は

私にたくさんのインスピレーションを与えてくれます。

自然の中に住む魅力とか
緑が多ければ多いのほど心が澄むこととか
オンとオフの切り替えができることとか
子どもの環境にはすごく良いこととか
トリートメントもスクールも質が上がることとか

何より

自然と共存する難しさも、幸せなことも
みんな体感できることが

ここで得られたかけがえのない感覚。

ずっと住むところを模索していた私に
「ちょっと不便でも、楽しむ勇気」を教えてくれたんだ。

便利なことは
実はさほど重要なことではなくて

家に帰ることで「ちゃんと休めるか」の方が
限りなく幸せな観点なんだと知りました。

ただ寝に帰る家に、何の意味があるんだろう…

汚れても、散らかっても
お洒落な家具とか無くっても
存在している我が家に

人は帰って「休める」ものなのだろうか。

私は奈良に学びに来るようになって
お寺に泊まる貴重な体験をして

「休養」の大切さを知りました。

こういうところに来ないと
忙しい日々を過ごす私たちは休めないんだと。

都心のど真ん中
コンクリートに囲まれたトリートメントサロンも

眠らない街にある
高層のマンションにある我が家も

「休める場所」には、結局ならなかった。

いや、なることはないと思うの。

ちゃんと休みをとって、ちゃんと時間をとって
「休む」って心に決めて
少しいつもと違う場所にしばらく行くことや

働く環境とはまったく違う
人の話し声も、電車の音もしない

虫や鳥の声しかしない家に帰ることが

こんなにも心の中に栄養を与えてくれる。

そこに高級なエステや、高級なフレンチから得られる
小さな幸せは必要ない。

ただ、そこに行くだけで、ただそこに帰るだけで

私たちは「何もない場所」から
かけがえのない居心地の良さを知って
きまって「もう帰りたくないなぁ」と呟くのだ。

ビルの合間の雑踏を歩くこと。
同じ服を着た猫背のサラリーマンと電車に乗ること。
せかせか立ち食いする飲食店で食事をすること。

それって、息が詰まらない?

あ、ここが私の居場所だって、思えないでしょう?

ちゃんと帰る場所は作らないと。

 
環境が整うから、心も整えられる。
 
 
心の中の不協和音に
目をつぶることは、容易だよ。

だって「気のせいだ」って思えば済む事だからね。

当たり前な事だから、頑張らなくちゃ。
そう….思えばいいだけだからね。

でもね、誰にも迷惑かけたりしないよ。

したい事を
自分の人生の途中にしたいだけする事って
そんなに悪い事なの?

お母さんでも、社長さんでも、どんな人でも
休みたい時に休んだり
方向転換する事ってそんなにいけない事なのかな….

現代人は、いや、社会で働く女性たちは

どこか「働くこと」が良い事と感じてしまっていて
「休むこと」が悪い事になっている人が多いように思う。

私もかつて、そうだったからすごく分かる。

でも、休まないと、時間を無理してでも作らないと
新しい発見もできないし、成長することもできないし
不調に気づくことも、何もかも。

全てにおいて鈍感になる。

人って案外 不器用だから
自分のことを意外と知らないし

意外と大切にはできていないものです。
人の目ばかり気にして
「当たり前」のように生きようとするからね。

良いんじゃない?

人の目とか気にしなくても
当たり前とかなくなっても

そんなちっぽけなプライドを捨ててみたら
うんと気持ちが軽くなるよ。

社会人だから、こういうところで働かなきゃ、とか
大人なんだけら、こうあるべき、とか
女だから、男だから、、とかね。

それってすごく面倒くさいことで

「私」は「わたし」だけだから
他の誰でもないんじゃないかな。

奈良で感じた
ゆっくりと流れる時の魅力を

私は忘れられなくなりました。

飛鳥の土地にある薬草の魅力をもっと知りたくなりました。

ここは私の感性を、大きく変えたの。
セラピストとして「働き方=生き方」そのものを変えた。

 
ねぇ、「わたし維新」って言葉、知ってる?

改革して、新しくなることだよ。

私は、私を変えていく。自らの力で。

それはかつて18歳で妊娠して
19歳で親になったことで
いろんな苦労を知ったときから、続いていること。

当時は、他の親と何が違うのか分からなかったけど
「若い」だけでも社会や会社は冷たかった。

 
「親」ってことでさえ、生きにくかった。
茶髪の女の子が、お母さんになったら可笑しい?
子どもが泣いたら「あの親若いからダメね」と笑うの?

 
当時はいろんなことに耐えかねて
自暴自棄になって
暴飲暴食したりしては、自分で自分を傷つけた。

そんな悩み、親の誰でも抱えることだけど

その時の私は「世の中で自分だけが不幸」って思い込んで
変わる気力さえ持てずにいた。

心も体も醜い私だったの。

そんな風にね、親になることが
こんなにも幸せなことだと気づいたのは
「わたし維新」を始めてからだった。

この環境を変えられるのは、私だけって気づいた時からだった。

それまでは周りのせいにしてばかりで
自分を自分で見つめ直したり
「何が周りをそうさせたのか」考えようともしなかった。

結局は、自分に勇気がなかっただけ。

若いお母さんでも、輪の中に飛びこめば
仲間だって出来たはずなのに
とにかく自分に自信がなかった当時の私は
結局、一人でいることを選んだんだ。

 
 
 
 
私はね。
したい事が明日できる」ってだけで
すごく幸せだと思うんだよ。

お母さんを経験した人なら分かるかな。

何をするにも不完結で苦しくなる時があるよね。


それは夢とか仕事だけじゃなくて
ご飯を食べるのも、買い物に行くのも
全てにおいて やりたいことをやり切る前に
子どもの世話で中断されたりするよね。
それって実は心の中にとても負担をかけていて
何もやりきれない辛さって
すごくもどかしいんだ。

だから私はね。

 
「これやりたい」と思ったことに、お金も時間も惜しまないし
立場も何も気にしたりしないの。
お母さんだから

奈良に一人で3日も行っちゃだめって
誰が決めつけたの?
協力してくれるパートナーを作ることは
自分のためでもあり、娘のためにもなる。

お手本みたいに生きなくても
最後良ければ、全て良しなんだよ!

さて、今は奈良へ向かう新幹線の中だけど
今日もすごくワクワクしています。

何を学べるか、よりも

何を感じられるか、が楽しい。
 
 
その反面、いつもは泣かないのに
今日に限って「寂しいよ」と泣く娘を
とんとん背中を撫でてあやしてきた。

ぎゅーーーって胸が苦しくなるけど
これはきっと私とこの子の生きる道だから。
試練だから。

私の元に生まれて「かわいそう」なんて思いたくないし
思われたくないし

本人にも、絶対に思ってほしくないから
私が今できる最大限の愛情を返していこう。

じゃぁ、お母さんは行ってくるね。

 
りあちゃんも、学校楽しんでてきてね。